アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

自分のために怒るって実は健全な行為なんじゃないか?

昨日の自分の怒りにちょっと驚きつつ

何だか「私自分のこと大事にできてる気がする?」と思い立った。

 

いつもの怒りと何が違うかと言うと、私の今までの怒りの根源は

 

人としてうんぬんかんぬん

常識的に考えて

あの人に失礼だ

弱いものイジメだ

組織のためにどーたらこーたら

 

みたいな

 

それらの事に転嫁して私の固定観念からくる怒りでケンカになっていた。

 

「ナゼいつも人の土俵で喧嘩してしまうのか?」と悩んでいたが、怒りに大義名分をつけようとしていたのだ。

 

自分は世のため人のために怒っているのだ

だから怒って良いのだと、きっと潜在意識で思っていた。

 

てか、私怒っちゃダメだと思っていたのか…!

そりゃストレスたまるわ!

 

私本位の怒りの良いところは「自分怒ってるなぁ」と冷静になれるところだ。

 

もちろんカーッ!となってるしイライラするけれど、友達にワーッと話して美味しいものを食べると落ち着く。

 

落ち着くと次にどうするべきか分かる。

 

闘うのではなく、離れれば良いのだ。

 

今まで私は大義名分を掲げて、対象のものを守るべく戦っていた。

いらん戦争だったけど。

 

何故みんな戦わない!?って不思議だったのだが、誰かや何かを巻き込んでいないのだから自分が撤退するのが1番早い。

 

知らなかった。

自分を守っても良いんだと、初めて気付いた。

 

「私が可哀想だ」という理由で怒って良いんだ。

 

今まで剥き出しで自分の中では正当性のある言い分で戦ってきたのかと思うとちょっと悲しいところもあるのだが

 

ココで自分を否定してはもったいないので肯定する事にしよう。

 

私の怒りの根底は、いつも誰かや何かを守りたい思いからだった。

 

間違っていたかも知れないし、望まれなかったかも知れないけれど、私はその人や組織を大事に思ってしていたんだと思う。

 

今回のオバちゃんへの怒りも、元はと言えばオバちゃんを励ましたい・癒したい・少しでも楽になってほしいと思ってのことだった。

 

オバちゃんのことも大事に思っていたし、今でも思っている。

 

ただ、今までの私のやり方ではあまりにも私が報われなくて可哀想だ。

 

冷たい意味でなく、距離を取って私ができる範囲でおばちゃんを見守ろう。

 

ひっそり自己犠牲はもう止めるのだ。