アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

三浦春馬くんはもうこの世にいない

私は特段彼のファンではない。

ただ、好感的に見ていたというだけの人間だ。

 

同じくらいの思い入れの人には、高良健吾くんとか柳楽優弥くんとか、その辺の人がいる。

 

あぁ、活躍してるなぁ

これからもっと輝いていくんだなぁ

 

みたいな人たち。

 

だから、活動を追ったりお金を出して応援したりはしていなかった。

 

それでも、ふとした瞬間にこれから先何十年かは間違いなく見かける筈だった人が

 

自らこの世にいることを放棄した、という事実が降ってくる。

 

悲しいにも似てるけど、喪失感というか

手放してしまえる

手放すという選択が取れる

輝いて見えていた人でも、生を手放す選択をする

 

という事に、単純に衝撃を受ける。

 

何が理由で亡くなったのかよりも、そういう選択をする状況になっていた過程があるのかと思うと

 

何だか遣る瀬無いし、寂しいような、そんな気持ち。

 

私は割とSNSをポジティブに受け止めている。

常に自己責任論を自分に課している人間としては、SNSで得た情報の不都合ですら想定の範囲内だ。

 

なので、有用な情報が沢山ある。

色んな考えに出会う。

思っても見ない方向の思考がある。

それ自体は何ら悪いことでは無いと思う。

 

三浦春馬くんを追い詰めたのがSNSだけだとは思わないが、木村花さんの時もしかり

 

気軽に人を攻撃する人を日常的に見るようになったのは確かだ。

 

私は常々思うが、みんなもっと自分に夢中になってほしい。

 

なぜ他人を見る?

なぜ他人を変えたい?

なぜ他人に怒る?

 

なんの気はない憂さ晴らしなら、それは甘えだ。

誰かに気を晴らしてもらいたいくらい、自分は疲れているんだ。

自分を見つめれば、人を攻撃する前に自分を甘やかしてあげる事ができるのに

もっと夢中になって自分を見つめて、大事にしてあげれば良いのに

 

私は自分を愛する人を増やしたい。

前向きに自分を見つめながら、選択ができる人を作りたい。

そういう意味で日本を豊かにしたい。

美は力だと思うから、そういう仕事がしたいのだ。

 

少しでも、見ず知らずの他人に負の感情をぶちまけに行くような人をこの世から減らしてやる。

と、思いを新たにした出来事だった。

 

私視点でしかこの出来事を見ていない日記です。三浦春馬くん周辺の出来事には精通していないので悪しからず。