アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

与えられた役割

女子校出身者はよく売れ残ると聞いたことがある。

 

かく言う私も女子大出身である。

 

高校から女子校だった子には負けるが、共学だった中高時代もほぼ女子としか関わっていない。

 

女子の中には、コミュニティの中に男がいた方が良いとする者と、全く必要としない者がいる。

 

それは共学、女子校ともに変わらない。

 

女子校で生活していても男との関わりが途切れない子もいれば、共学なのに男友達の類は1人もいない私のような人間もいる。

 

私は昔から武士に憧れていた。

 

女は三歩下がって後ろを歩き、何かあった時は俺に構わず逃げろという心意気

 

コレと決めた主君には命を懸けて忠誠を誓う姿勢に憧れ、そんな人間になりたいと常々思っていたし、今もなれるならば武士になりたい。

 

小学生の頃はまだ男女の差が低く、私も私なりに武士らしく振る舞えたのだが、思春期になれば体の成長や力の差は歴然になり、あっという間に自分は女になってしまった。

 

短い天下である。

 

何しろ男子から求められる立ち位置が変わった。

 

ドッジボールの時、前線で砲撃を受けようとしていた私に、目の前で構えていた男子が一旦照準をコチラに定めたのに奥にいる男子に切り替えたのが分かった時、何とも言えない寂しさに苛まれた。

 

だがやはり幼い頃からの武士マインドは抜けず、内助側に回ることは出来なかった。

 

それから、男子と関わると変な感じになって、付き合ってるだの何だのと始まって居心地が悪い。

女扱いされるから女らしくしなければならない気がする。

 

女らしくすると私の元の部分とは全く違う性質になる。

 

私が男の人が苦手な所以はこの辺な気がする。

 

求められるように振る舞うが、私の思う「女らしく」はとても内向的で人の顔色を伺うものなのだ。

 

普通にしてたらイイじゃんって感じではあるのだが、変に完璧主義思考が取れない限りはこの息苦しさが続くのであろうと思う。

 

女子グループにいれば今までの私でいられるし、何より気楽だ。

 

女子の中の私の役割はハッキリしている。

 

男役、時に妹役。

ある程度自由にしていても分かってくれる。

 

女子のルールの柵から外れなければ、呼び戻された時にちゃっと戻れば良いだけで気楽だ。

 

むしろ好ましく思ってくれるし、女子に可愛がられるのは得意だ。

 

それが男女入り混じった柵になるとどうだろう。

 

男役は男がやる。

 

妹役では年齢の限界があり、若い子がいればそれは潔く譲らなければぶりっ子おばさん扱いだ。

 

私は何が出来るのだろうと途方にくれると、女役になってしまう。

 

女武士やったら良いじゃんと言われても、そんな器用なことが出来たらやるのだ。

 

誰も女役をやれなんて言ってないだろうと思われるかも知れないが、あくまで私にはそう思える。

 

結婚の話し、荷物もち、車の運転、飲み会で求められること、男性からの話題の振り方、諸々の端々で感じる。

 

かと言って、男同士と同じように明け透けに下事情なんか話されても困るのだが…

 

大きい組織とは大変なのだなとつくづく実感している。

 

とてもやりづらい…

女武士のような先輩はいる。

全く女扱いはされない

仕事っぷりも、対等かそれ以上やってのける。

 

バリバリ内にも外にも意見を言うし、攻撃力が高い為に隙は見せられないと防御も完璧にする。

 

ああなるまでにきっと色んな葛藤も抱えて来たのではないだろうか。

 

スゴイ人だ。

 

私はアレになろうとしているのか?と思うと、それも難しい気がする。

 

私が今まで選択してきた道は、自分を生きづらい方向に追い込んできたのかも知れない。

 

可愛い犬のまま社会からドロップアウトした方が楽だったのかも知れない。

 

女は女らしく

男は男らしく

 

今時流行らない気もするが、それが社会なのだろうか。

 

かと言って、

 

私は私らしく

を持っている人は少ない気もする。

 

女らしさに助けられたことも沢山ある。

男の人って大変だなと思うことも沢山ある。

 

私は何がしたくて、何が悔しいのだろう

肝心な部分が分からないまま、漠然と恋愛や仕事や、社会の色々に不満を持って生きている。

 

そんな事をぼんやり綴るのが、今の私に出来る数少ない私らしいことだ。