アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

自意識過剰な女が女に負けたと思うことなどない

完全に独断と偏見だが、自分が客観的に見てどのくらいのレベルなのかを見誤っている女がいるとしよう。

 

そう、過去の私である。

 

そういう女は、自分の中の位置付けがそもそも間違っている。

 

というか、自分はこういう顔のこのレベルの人という認識なので、誰からなんと言われようとイジメられようと

 

同性からの指摘なれば、ガチのモデルにクソミソ言われる機会がない限りは自分の市場価値を改める事はない。

 

例えば、自分は70点くらいだろうと自己採点してる人がいるとする。

 

この時の点数は

・顔の作り

・女の中でのイケてる度(髪型、服装、立ち居振る舞い)

・男からの評価(異性としてイケてるかどうか)

 

で割り振ってるとする。

 

よく分かんないけど私は平均以上だし、平均以上プラス10点くらいあってもバチは当たんないっしょ!

 

くらいの自己採点だ。

 

ヒエラルキーで図を作った時に、70点といっても色んなタイプの70点の女が出てくる。

 

可愛い系、セクシー系、ハーフ系、メンヘラ系

 

自分がタイプの違う70点の中の1人だと思い込むと、ガチの70点の人と合コンなどで一緒になって男性票を得られなかったとしても

 

「私は今日集まったメンツが好む70点じゃなかっただけだ」

 

と、前向きな反省をしがちである。

 

 

 

友達の友達に、よく言えば大和撫子系、悪く言えば日本画顔の子がいた。

 

私の好みは笑顔がとろけそうなビッチ顔なので、その子はタイプではないのだが

 

タイプでない部分を差し引いても60点(ブスではないけど可愛くはない、パーツの配置が綺麗、細い、色白を加点しての点数)と私は思っている。

 

が、友達曰く「あいつは自分を女王さまか何かだと思ってやがる…」

 

と、よく聞かされていた。

 

しばらく友達と会っていなかったが、久々に聞いた話では

 

その子はアパレル系の会社に勤めていて、今ではスッカリ大人しい性格になったらしい。

 

「顔に似合う大人しい性格になったよ!今じゃちゃんと分不相応な恋愛をしてるよ!」とのことだが、友達の見立てでは女の園に入って自分より綺麗な人をたくさん見て、やっと自分の価値に気付いたんじゃないだろうかとのことだった。

 

が、私は違うと思う。

 

今までだって自分より綺麗だったり可愛かったりする女はソバにいたはずだ。

 

そのタイミングで綺麗な女を見ても、何か意地悪されたり言われたりしたとしても

 

果たして勘違いしたまま生きて来たアラサー女が突然気付きを得るものか…?

 

私が引っかかったのは、男関係だ。

 

就職と並行して、大和撫子ちゃんには男関係で事件が起きている。

 

好きだった人がやっと振り向いてくれたと思ったら、二股をかけられてた上に自分は浮気相手側だった、という事件があったそうな

 

しかも、何か良いように言いくるめられて泣き寝入りに終わったと…

 

他人事だったがなかなか悲惨な事件だし、もう傷付きたくなくて復讐も望まない程の大和撫子ちゃんの気持ちも分かる…と、コチラも落ち込む事件だった。

 

自分を見誤っている女に1番効くのは惨めだという思いだ。

 

私もセフレ君と終わった時は、かなり下に見ていた相手だっただけに

 

私が何でこんな下らない男にフられなきゃならないの!?

 

とか思っていたのだが自分はロクに惨めな経験をした事がなかったから、相手の恋愛レベルと自分の恋愛レベル、そして市場価値を見誤っていたのだと気が付いた。

 

惨めってスゴイのだ

 

カッコ悪いと恥ずかしいとダサいともう、色んな感情がゴッチャになる

 

恋愛の惨めさは、仕事で味わう惨めさの何十倍も惨めだ。

 

素の自分で、自分の価値を相当上げて当たっていただけに、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対なんて言わないよ絶対状態である。

 

ただ、この惨めさがなければ一生恥を晒しながら生きていくことになったかも知れないと思うと、やはり傷付くことは決して悪いことではないと思える。

 

自分の市場価値を見誤っている人が近くに居たとしても、その人は誰が何と言おうと自分の中での価値が爆上がっているので、友達の忠告や綺麗な同性に囲まれたところで何も変わりゃしない。

 

経験を積んで惨めを享受する所からがスタートだ。