アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

「ごめん」と言われると愛されてると実感する

多分、私が人の愛情を実感するのが「ごめんね、ありがとう」と言われるシチュエーションなんだと思う。

 

私は自己犠牲が好きな女だと自分について分かってきたのだが、私に関わる人には罪悪感を持って欲しい。

 

罪悪感が一番沁みる愛情表現なのかも知れない。

 

家族の中で、私だけがお手伝いをして、私だけがオシャレをしないで、私がブタ役を買って出て

 

「ごめんね、ありがとう」

「気を遣わせちゃってゴメンね」

と言われるのが、私が認められていると思える瞬間だったのかも知れない。

 

くずぴにも、ゴメンと言われたい。

悪いことをしたなぁと思っていて欲しい。

 

不安にさせてゴメンとか

こんな扱いをしてゴメンとか

自分が私を1番にできていない状況を「悪いな」と思って欲しい。

 

そうすれば、愛されていると思えるのかも知れない。

 

1番にはして欲しくない。

どうしたら良いか分からなくて怖い。

 

ちゃんとした関係になったら、対等になってしまう。

浮気されても関係がギクシャクしても、1対1の関係になったら私にも責任の一旦が出てしまう。

 

私だけが一方的に被害者だと思えるシチュエーションがなくなってしまうかも知れない。

 

顕在意識でこんな風に思っているのだから、潜在意識はそりゃあもう、何を望んでいるか考えるだけでも恐ろしい。

 

果たして愛し愛されたいのか?と考えると、よく分からない。

 

愛されるのは面倒くさい。

私は人を愛したいのかは分からない。

 

犬とか、姪とか、愛しいなと思うけれど、それと同じような愛情を対等な他者に与えたいのか?与えられるのか?全く想像がつかない。

 

弱い立場に身を置くことで、私が犬や姪っ子に抱いているような愛がもらえるとか、思ってるのかなぁなんても思う。

 

まるで普通の恋人みたいに思うなよと。