アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

女はドロドロしてて当たり前

女ってドロドロしてて怖ぇよな〜って言う人は、一定数いる。

 

男でも女でもいる。

 

そういう人たちに問いたいが、あなたにドロドロした感情はないのか?

ドロドロというと極端な表現だ。

欲望はないのだろうか?

 

この人に好かれたい

他人にこう思われたい

自分のしたいことを邪魔されたくない

 

欲望に他者が絡んだ時に、人はドロドロせざるを得ない。

 

何もかもが上手くいく、もしくは弊害障害にぶつかったら全てを諦められる

 

そんな奇跡的なことが起こる、奇跡的に無欲でなければ、ドロドロは避けられない。

 

無論、無欲な人は欲望なんてないけども。

 

今朝の朝イチでソフィア・コッポラの新作の番宣があって、女子しかいない寄宿舎に傷ついたハンサム兵士を拾って来てしまうっつー内容だったんだけど

 

1人の男を投下しただけで今までの平穏が崩れていく〜みたいな話し。

 

 

こういう時いつも思うが、女の園に男が入ると争いが起こる。

 

逆に男の園に女が入ると、女が強かな場合は争いになるけど弱い場合は回されるんだろうか??

 

獲物であるか、種であるかの違いなのかな〜

 

寄宿舎だから禁欲大前提で、みんな良い子でいようとするから争いになるのだろうか。

 

みんなで分け合えば良いのにね。種。

 

 

まぁ、自分が秩序的で正しいって見られたいから、誰が彼の1番になれるかって争いになるんだろうな。

 

 

私はある程度物心ついた時から女しかいない環境に長くいたから、女の園の方がよっぽど潔くて良いと思う。

 

みんなベース雰囲気で察せるから、ドロドロした部分を理解しあっている。

 

あの子はこうしたいんだな

こう見られたいんだな

こう計算して動いてるんだな

 

それは自分にとってプラスかマイナスか

 

それとも関係ないから意識の範囲外にしていいのか

 

誰も何も言わない中で、無言の秩序がある

納得出来なければ遠慮なくぶつかる

 

土俵が同じなのと『女とはこうである生き物だ』という概念がないからだ。

 

ぶつかること自体は何も悪くないのに、女同士が喧嘩になると「うわ!」って反応する男がいる。

 

だから共学ではヒエラルキーが強いのだろうし、異性に見られないようにするため、争いがドロドロしてしまう。

 

女子校のケンカは良いぞ!

言いたいこと言い合って、窓ガラスは割れ、勝者は圧倒的勝者

 

敗者は去るのみ…!

 

女子校は日常生活の秩序は自分たちで作っている。先生の仲裁なんて意味がない。

 

先生にすがることでしか身を守れない奴は、女子校に向いていない。

 

男の目がないと自分を守らないのも向いてない。向いていないが、女子校に向いていない女なんていない。

 

何故なら女は、無言の秩序を作れる力があるからだ。

 

幼いころから同性の母親と共に過ごしてきた女にとって、女といる空間は高度なコミュニケーション能力の応酬で、その才は誰しにも備わっている。

 

それが心地いい人もいれば、辟易する人もいる。その差だろう。

 

 

喧嘩になるのは、同じパワーバランスだからだ。

 

女子校にも、もちろんギャル〜オタクまで様々な人がいる。

 

だが、ヒエラルキーの力はそんなに強くない。

どちらかと言うと、住み分けが正しい気がする。

 

人種の違うもの達の間に、力関係はない。

 

同性しかいない場所と、異性が混じり合った場所での違いは、男女共この辺にあるのではないだろうか。

 

動物界にヒエラルキーがあるのと同じだと思うけどね。

 

タイトルは「女は〜」と付けたが、人はドロドロしてて当たり前だと思う。

 

何故ドロドロするかと言うと、我々が人間で、もっともらしく理性的であろうとするからドロドロするのだ。

 

秩序を保とうと水面下で行われる情報戦を、私は当たり前だと思うし、決して悪いことではないと思う。

 

だが、異性に縁遠かった私にとってはあまり水の合う世界ではなかったので、女子校に会えて本当に良かったと思う。

 

それと同時に、男性が女性に女性らしさを求める職場は本当に合わなかったと思う笑