アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

「常識」を外したら、ほぼ全ての物事に正解はない

「なぜ私がそれをしなければならないのですか?」と聞いた時に「常識的に」とか「普通は」と返してくる人がいるけど、それって何の説得力もないよね。

 

それはあなたのコミュニティの普通であって、私にとっての普通じゃない。

 

私が良いと思ばそれに従いましょう。

そうでなければ従う理由がないのだが?と思う。

 

って、今の会社にいると思う(笑)

 

ウチの会社はとにかく汚い。

 

テーブルに、目に見えるほど埃が積もっていても

使いっぱなしのマグカップや箸が放置されていても

椅子が出しっぱなしでも

ゴミ箱が溢れていても

ポットの周りに水が溢れていても

コーヒーのカスが散乱していても

 

私を含めた一部の人間しか公共の場を清潔に保とうとしない。

 

一度そのことで上層部に進言したことがあったら、全く気にしていなかったようで

 

CEO:私は自主的にトイレ掃除してます!(そんなこと聞いてない)

COO:え〜、でも本当に気がつかなかった〜、気をつけますね!

CTO:そうですね〜、エンジニアも気をつけます。

 

CEO以下の「気をつけます」と言ったやつらは、チームに周知もしなければ1週間もしない内に社内美化のことなど忘れた。

 

CEOに至っては「私はやってる」と言い張って全く協力する気はないようだった。

 

 

でも、「この人たちにとっては公共の場を綺麗にする」という常識はないんだよなぁ。

 

そうやって生きてきた人たちに動いてもらうには、それが良いものだと思ってもらうしかないのだが

 

私たちが「うっ…」と思うレベルは彼らが全く気にしないレベルなので、彼らの中では会社はいつも清潔なのだ。

 

となると、「どうしていつも私たちばっかり!」と怒ることも筋違いな気がして、私は自分と衛生管理がしっかりしている人々以外の公共の場を清潔に保とうとすることをやめた。

 

常識が違う人たちにどう理解してもらうか考えるほど会社に愛着がないのもそうなのだが、やる意味が分からないと言われたら「まぁそうだよね!」と思ってしまうからだ。

 

まぁ、公共の場を綺麗にするというのは常識だと私は信じているが、その根底には「自分個人の場所・物・時間ではないものを無下に扱うものではない」という観念がある。

 

観念は私の内部のもので、それを共有するのは結構難しいことだな、と思う。

 

観念があるから怒る。

相手は同じ観念を持っていない可能性がある。

 

この会社で多々ある学んだことだ。