自分軸の確率のために、主語を「自分」にして考えるという試みをしている。
カウンセラーの根元先生の教えなのだが「なぜ彼に愛されない?」という他人軸的考え方を「なぜ私は彼に愛させない?」と置き換えるのだ。
えっ、何でよ私は愛されたいのよ
と思うじゃないか。
私も思っていた。
けれど、納得いかなくても紙に書き出したりしながら「どうして愛させないのか」を掘り下げてみる。
例えばくずぴを例にすると
- セックスがあまり良くない(最近中折れする笑)
- 仮に正式に付き合い出したら同棲しなければならない。家は1Rだから結構イヤ
- 最近価値観の違いが浮き彫りになってきて、あまり上手くいく想像ができない
- 食生活が違うから一緒に暮らすのは大変そう。私は一緒にいる人とは楽しく同じご飯を食べたい
などなど
私を軸にしてみると「まぁ、そうだよねぇ。だからこの距離感でいるのか」と納得できる。
「何で私を選んでくれないのよぉー!」と苦しんでいたのだが、「あれ?私も今の距離を保とうとしてるんじゃないの?」と思い至るのだ。
でも、本当に私を愛してくれるなら彼だって一念発起して彼女と別れて一人暮らしを始めてくれるかも知れない
とかも思うじゃないか。
でも、それって私の願望であって、目の前の彼の人となりとも合っていないし、そんな日がくるかどうかも分からない。
彼は私じゃないから、私が思っている「正しい生き方」「こうありたいと願う恋人関係」に収まる可能性なんてほぼないと思っても良い。
じゃあ、まぁ良いか。と考える。
じゃあまぁ、私は彼を憎からず思っているんだから、アチラのことはアチラにお任せして、私は私ができることをしよう。
私が楽しいことをしようと思える。
くずぴと私は別な人間で、別々な人生を歩んでいて、交わるかどうかは分からないからとりあえず、時間がある内は私は自分が楽しいことをしつつ、彼を可愛がってあげようくらいの気持ちでいられる。
ちょっと自分軸が上手になってきた気がする?笑
思考的な私は「多分2人に先はないよ」と言っているが、それも特に今何かしなきゃいけないようなモノでもない。
結果がどうなるかは、勝手にその内決まるだろう。
楽しいことをしよう。