『拗らせてる』は、自称するものである。
というか、コレは自己防衛の為の言葉だと私は思う。
行き遅れババアだの理想が高いから云々だの、ブスのくせに高望みうんちゃらかんちゃら
諸々の自身への批判を一言で跳ね返す為の魔法の言葉だ。
「私、拗らせてるんで」
これだけで「自分の悪いところは全部分かってて行きづらさも享受した上でこの状態なんだ」と言っている。
自虐で相手を黙らせ、それ以上のことは言わせない。それがこの一言に詰まっている。
だが、他人から言われた途端に鋭い矛に変わる。
盾にも矛にもなるなんて、これは中国の古文に付け加えた方が良い。
「あんた痛々しいよ」と
上記したもの全て、自分が自分で思っている想像し得るもの全てかそれ以上の意味を含む
と、言われた方は感じる。
何たって諸々を含めた言葉なので、相手が何となくニュアンス的に使ったとしても、言われた本人が多々想像してしまうのである。
コレは体験談だが、セフレ君に「もう貴様とはココまでだ!」という意図を込めて怒りをぶつけた事がある。
ほとぼりが冷めた頃にまたやり取りが始まったのだが、落ち着いて話したタイミングで言われたのが「あの時は拗らせてんなーと思った」と
私は怒り爆発だし円脱も進むというものである。
テメェの不義理を怒ってんのに拗らせてんなとはどういうこっちゃ
と思うが、煽り上手だ。
なんせ相手はA型だ。
私はA型の細やかなところは大好きだが、牙の剥き方がムカつくから嫌いだ。
ケンカ売ってんのかテメェと思うが、相手にあまり悪意が感じられないからA型は嫌いなのだ。
天然の煽り屋だ。
O型なら間違いなくボコボコのケンカになるところを、奴らと話してると不完全燃焼だ。
良い年したセフレなんだもの、私もあなたも拗らせてんだよと思うが、ケンカするほど親しくないのでマジでストレスだけが残った。
それと、私は自分に拗らせてる意識はない。
そこが拗らせてんだとか野暮なこと言う奴はみんな自己防衛にがんじがらめにされて死ねば良いと思う。
年齢を感じないこともないが、そのことや社会がどーのこーの世間の目がなんちゃらみたいな理由で自分を恥じたり狭めたりするようなコトをしたくない。
わきまえるのは、悪いことではない。
自分の出来ることを正しく把握して、間違いなく動く事ができるって立派なことだ。
だが、私は自分の生活や考え方をわきまえたくない。
必要以上に小さくまとまって、自分を卑下して自信を無くしていきたくないのだ。
相手にどう思われようと、はたから見て拗らせていたとしても、私には関係ない。
勝手に拗らせてろバーーーーカ!!!!って感じである。