アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

辞めた職場の人と会って来た

ほぼ1年ぶりに、去年1年半ばかし務めた職場の人とご飯を食べに行ってきた。

 

新卒時代、自由なベンチャーで社会人スキル0で楽しくやってきた26の私に、様々なことを教えてくれたおばちゃんである。

 

厳しいし、怖いし、細かいし、初めは「ヤダな」と思いながら一緒に仕事をしていた。

 

だが、民間とは違う働き方がなんたるかを叩き込んでくれたのはおばちゃんだったし、大きな組織でやっていくことを教えてくれたのもおばちゃんだった。

 

おばちゃんが他の課に移ってしまって、私も1年せずに向かない場所への係移動があり、そこでガタが来て辞めてしまった。

 

他の課に行ってからもおばちゃんはよく心配してくれた。

 

最後の日は抱きしめて見送ってくれた。

 

あんなに色々してくれた方の期待に応えられなかったな…と、ずっとそう思っていた。

 

長い付き合いになるのかと思っていた。

 

おばちゃんに習ったことを生かしながら、ここで退職まで務めると思っていたから、私はきっと、親の次に辞めたことを後ろめたく思ったのはおばちゃんだったと思う。

 

そんなお世話になった人にようやく会えて、ちょっと涙ぐんでしまった笑

 

嫌な思い出が多い前の職場の近況を聞き、みんな元気にしていて、やっぱり自分はその環境では長く続かなかったなと再確認し

 

セフレくんの結婚のことも聞き

 

やっぱセフレくんは離れてからも私に自己否定ばかりさせるな、と、内心苦々しく思いつつ

 

幸せにしてるならそれで良いかな、と思えるくらいには無関係になった。

 

おばちゃんは相変わらずおしゃべり好きで、職場内のことはなんでも知ってて

 

おばちゃん自体は気持ちの良い人だけど、やっぱり田舎の閉鎖空間で仕事をするのは無理だったな、と思い起こされた。

 

私とこの人はもう別な環境にいて、物事に対する考え方もドンドン変わっていく。

 

次に会う時があるかも分からない。

 

また、絶対に

 

と言い交わして握手をしたけど、次があるのか、次が望まれているのか

 

私自身が次を望んでいるのか、分からなかった。

 

2時間はあっという間だったけれど、もうみんなと別な場所にいて、その選択が間違いじゃなかったと再確認する場になってしまった。

 

それが悪いとは思わないし、むしろ今後の自分の指針としては良い時間だったが、帰り道に「私はこの人に対する後ろめたさを、今日この時間で払拭しようとしていたんだ」と気が付いた時、何となく悲しい気持ちになった。

 

ただ、おばちゃんに会いたかった。

それ以外の自分の真意に、帰り道でようやく気が付いた。

 

そして、ただ会って元気な姿を見せることではこの後ろめたさは払拭できないし

 

あの環境を是とできない私にとって、どんなに会う回数を重ねて思い出を語らっても意味がないことなんだと気が付いてしまった。

 

時間を割いて会ってくれて、本当にありがたかった。

 

今後私がバリキャリのおばちゃんのお役に立つことは、一生ない。

 

恩返しすることも、一生できない。

 

ただ、その存在を離れても時間が経っても、ありがたく思っているということだけは、間違いない。

 

なんだか悲しくなってしまった日曜日だった。

 

今週も、みんなが幸せであれば良いと思う。

もちろん私も。