アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

毒親、と一言で言い表せるもんでもない。

私と姉は実家から離れて暮らしている。

姉は嫁に行き、私は一人暮らしだ。

 

私たちの母は何というか、子離れができない女性である。

 

毒親というほどではないとは思うのだが、とにかく私は家庭の平和を守るため、昔から細々動き回りながら生きてきた。

 

長い休みがあると、私と姉は実家に帰る。

今回のゴールデンウィークも例に漏れず、実家に帰っている。

 

帰省の度に夜中まで酒を飲みながら、私と姉夫婦、実家に住んでいる妹といろんな話をするのだが、今回は妹の代わりに母が入っていた。

 

義兄も含めて、私たち兄妹は定期的にこういうぶっちゃけ会のようなのが行われ、日々の愚痴や互いへのダメ出し、普段言えなかった互いへの要望などを吐露し合う。

 

「え!そんなこと気にしてたの!?」とか「だからお前は〜!」とか、色々あるけどコレが楽しみで帰省している所もある。

 

そんなぶっちゃけ会で、矛先は母に向かった。

 

私は今、浮気相手になってしまったことや会社での立ち位置などで、自分と人との関係や自己肯定感について悩んでいた。

 

具体的な内容は伏せながらだが、それを解きほぐしていく過程を提示してくれる人が現れたこと等も話した。

 

母はいつも「人を受け入れられるようになればラクになる」と言い続ける。

 

だが、当の母に私の本当の要望や本当にしたかったことを伝えられたことは、あまりなかったように思えた。

 

ので、私は思い切って母に今まで自分を抑圧してきたことを話してみることにした。

 

過去の自分への思い出話のようなものであり、母へのちょっとしたぶっちゃけ話しだった。

 

母はあまり要領の良い人ではない。

家事の段取りは悪いし、片付けは苦手。

手伝って欲しい時に怒ることでしか伝えられず、食卓がお通夜みたいになる日が度々あった。

 

なんの平等主義なのか、3姉妹の内1人が怒られると芋づる式に全員なんらかの理由を付けて怒られる。

 

私はとにかく家が暗くなるのが嫌だった。

怒られるのが嫌だった。

 

私は母の要望を的確に汲み取り、非協力的な姉妹に苛立ちながら、自分の労力や時間や願望と引き換えに家庭を平和に保つ努力をしてきたつもりだった。

 

(それは妹にしか伝わっていなかったのだが)

 

その話しをしたところ、何故か母は憤慨。

 

今まで思い込んでいた私像が、母に怒られないために作り出していたものだと言われたことがショックだったのだろう(と予想している)

 

30年近く自分の教育が正しく伝わっていると思い込んでいた娘が、実は演じられていたものだと伝えられるのは、そんなに衝撃なのだろうか…。

 

他人ならばあらゆる疑心暗鬼をもたらしそうだが、私はちょくちょく片鱗を見せていたはずだ。

 

私は外弁慶だった。

家の中では大人しく、外に出ると暴れん坊で聞かん坊だ。

 

私は外の私が本当の姿だと思って生きてきた。

 

母以外の家族は、私がそういう性格だと知っている。

 

母だけが、私が優しい子供だと信じていた。

 

でもそれは、母を不機嫌にさせないため、家庭の雰囲気を悪くしないため、引いては私が嫌な思いをしないためだった。

 

だが、私の大きな裏切りは今に始まったことではなかったはずなのだ。

 

一度実家に帰って、このまま家を継ぐのだと宣言したのだが、また離れた。

黙って公務員を辞めた。

 

私の反抗だった。

読み返して、裏切りと書いている自分にちょっとゾッとするのだが…。

 

「こんな思いを子供にさせるなら、結婚なんてしたくないし子供もほしくないなぁ」と思っていた時期があった。

 

何があったのかは忘れてしまったが、いま母との関係を振り返る私にとっては大切なことな気がする。

 

私、もしかして空っぽなんじゃないかと、ぼんやり怖い思いをしている。

 

人に好かれたいのも、モテたいのも、私が何から身を守るためなんじゃないだろうかと、うっすら思い始めている。

 

何からかは分からない。

どうしてこんなに攻撃するんだろう。

攻撃は最大の防御って、好きな言葉なんだよねぇ。

 

思考が停止する。