怒りは2次感情
その前には1次感情の悲しみがあり
そのもっと前には0次感情の期待がある
と、私が愛読している恋愛ブログの藤本シゲユキさんが言っていた気がする。
何で怒っているの?
何で悲しいの?
と自分の感情を深堀していくと、その原因が分かってきて、感情の根幹にたどり着くとそれは『期待』を裏切られた悔しさだったり悲しさだったりす…
という内容なのだが
一昨日シクシクしている時に掘り下げてみた。
「私は何でこんなに悲しいのだろうか?」と自問自答していくと
彼に会えなくて悲しい
何で会わないの?
私が拒絶したんだから私から会いたいなんて言えない
じゃあそれで良いんじゃないの?
それでも会いたい
それって彼に会いたいって言って欲しいんじゃないの?
あぁ、そっか。私は彼が私と同じく孤独に耐えかねて「拒絶されても会いたい」って言ってくれることを『期待』していたのか。
それが叶わなくて悲しいのか。
そりゃお前…叶わないだろそんなもん…。
と、ちょっと冷静になった。
私が今回彼に『期待』していたことはドンドン出てくる。
いきなり拒絶したら私の存在の大事さに気付いて彼女と別れてくれないだろうか
私との数々の約束を思って、やっぱり会いたいって言ってくれないだろうか
私がいない時間が辛くて、また抱きしめに来てくれないだろうか
私と話が出来ないのが辛くて、DMを彼からくれないだろうか
私が取った彼を拒絶する行為は、私自身が突然降ってくる彼女の存在に傷つきたくないからの自己防衛なのだが、それに付随する彼への『期待』もたくさんあったのだった。
これを乗り越えてくれたら、私は彼の愛を感じられると『期待』したが、まぁ…負ける確率の方が断然高い賭けだ。
そもそも裏の意図はなくとも断られると心が折れるタイプの人だし。
完全な勝ち戦で自分の都合の良い方向に動かないこと以外は積極性を出せない男だ。
分かっちゃいたけど期待していた。
たまに乙女ゲーみたいなことをしてくる彼だから、もしかしたら…
まだ浮気相手でも良いから…
そんなことも考えたが、順番を待っていてもきっと無駄に年を取るだけだし、仮に彼が私の元に来てくれたとしても、あんまり幸せに過ごす姿が想像できない。
あぁ、私は人を動かしたくて『期待』しているんだ。
と、初めて腑に落ちた。
私が人と向き合っている時、相手の感情でなくニーズを掴もうとしてしまうのは、相手が私をどう動かしたいかを察知し、それに合わせようとしてしまうクセがあるからだ。
人に好かれたい願望が強すぎて、つい奥の奥を見てしまって勝手に推測してしまう。
そして私も、人に求めていたんだなぁと。
私をいつも苦しめるのは「~すべき」思想なのだが、何だかそれはこの辺から出てきてる気がする…。