凪のお暇の7巻が出た。
慎二…可愛いやつめ…だし、ゴンさんが愛しい。
凪ちゃんは表面柔らか中武闘派だけど、私は表面武闘派中メショメショタイプの自己肯定感が低い人だ。
だから、分かるな〜と思うところと、凪ちゃんて意地悪だな〜と思うところ両方ある。
凪のお暇を読んでいると、都度自分を振り返る。
最近私は、外部と私は別物だったことを発見した。
私は人が私に何を期待しているか察する力が強い。
だから、周りはみんなそれくらいのアンテナがあるのが普通だと思っていた。
私に「こうして欲しいな」と発信してくるのは、分かってやっていて、私がそれを受信して行動しているのも分かっているのかと思っていた。
だから、嫌いじゃないけど深くは付き合いたくない相手に「ここまでやるから、もう許してね」「これ以上は踏み込んで来ないでね、嫌いになっちゃうから」と発していた。
が、何故かそういう人はみんなもっと欲しがる。
男の人と、依存することに遠慮がない女の人は特にそうだ。
「あなたが望んだことはココまで聞いたんだから、あとは譲歩してね」という発信が伝わらない。
私の希望や期待を、みんな伝わった上で拒絶するのかと思って、私はずっと自分が損をしている気がしていた。
何で分かってくれないんだろう
何で分かっているクセにそんなヒドイこと言うんだろう
何で私が傷つくことを平気でするんだろう
おかしい、何故…と思っていたのだが、みんなに伝わっていなかっただけだった。
私は自分と外界の世界がよく分かっておらず、みんな伝わっているんだと思っていた。
だから「望まないことは拒否しても良い」という価値観に触れた時に、驚いたのだ。
拒否しても良い、という選択肢がある?
拒否=終わり ではないのか?
拒否=断絶ではないのか?
私にとってずっと、拒否されることは大きな失望だった。
しかも、それは度々起こる。
世界の大半は私を否定している。
私はこんなに受け入れているのにどうして…?と、いつも理不尽な怒りを抱えていた。
だが、私が思う拒否は明確なNOじゃなくて『私が拒否されたと思う振る舞い・言葉』が私にとっての拒否だった。
今のこのタイミングでそれを言うってことは、私のこのお願いを拒否したってことでしょ?と思っていた。
お願いだって、私が自分の中では伝えているつもりでも、相手には伝わっていないようなお願いだ。
だから、私のお願いは大体伝わらないし私の中で拒否され続けていた。
でも、世界と私は違うものだから、私が思うそれはお願いになっていないし、拒否もされていないようだった。
アレー???と、立ちすくんでいる気分。
なるべく人の気持ちを察したいと思って生きてきた。
ネガティブなものは特に。
他人に嫌な思いをさせたくないと思っていた。
だから、私はささやかなNOも受け取れる人になりたかった。
弱い人を守りたいし、NOと言えない人を後押しできる人間になりたい。
けど、ささやかなNOを探しすぎて、何だか私は私にNOを突き付け続けていたのかも知れない。
私のこれは自分の優しさだと思う。
人を大切にしたいが為の、良いクセだと思う。
まずは、自分もNOと言って良いこと、望んで良いこと。
NOの先の生活も、生きている限りは続いていること。
望んで良いし甘えて良いんだと思えたのは良いのだが、さてそれからどうしたら良いのかな〜と次の一歩を考え中だ。
とにかく今は楽しいことを、かな?