アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

母の愛は空回る

私の母は、自分の母親(私のおばあちゃん)を悪く言う人だ。

既に亡くなったおじいちゃんを尊敬しており、50を過ぎても姉(母)に甘えている叔父を溺愛している。

 

私から見れば、母も祖母も似た者同士で、同族嫌悪だなという感じ。

 

けれど、母はそんな祖母と同じくなりたくないと思いながら生きてきた為に、一生懸命やってきたのだと思う。

 

教育熱心で

子供達(私たち姉妹)のために料理をし

父のために良き妻でいようとした。

 

けれど、どれもこれも母の元々の性分に合っていないのだろうなぁと、大人になった今なら分かる。

 

母はあまり料理が得意でない。

料理そのものは美味しくできるのだが、段取りが悪い。

 

食事が完成して、さて皆んなで食卓を囲もうと言う時にいつまでも洗い物をしている。

 

そんなこと、3人も娘がいるんだから後で誰かがやる。

何なら食器洗いジャンケンに父も混ぜてやる。

今はみんなでご飯を食べる時間なんだ。

 

それをお客さんが来ている時もするので、ちょっと座が気まずい空気になる。

せっかく美味しくできた料理も冷めて行く。

 

母は祖母のそういう所をずっと「嫌だ」と話していたが、実際いま自分も同じことをしている。

 

母は思ったペースでお弁当が作れなくて、イライラして当たり散らす。

 

遠く都会に旅立つ私に、学生時代を思い出して母の弁当を持たせてあげたいと思ってくれているのかも知れないが、そんなに怒りながら作られた弁当、ありがたくも何ともない。

 

そんなことなら、1000円握らされて「ごめん、お弁当間に合わなかったから何かコレで好きなもん買って食べて」と言われた方が何倍もマシだ。

というより、私ももう良い年だからそんなものいらない。

ただ「元気で頑張れ」と機嫌よく送り出されるだけで良いのだ。

 

私は母とはなるべく外食に行きたくない。

母はポジティブに「気を使っているのだろう」と捉えているが、私は母と外食するのが好きじゃないのだ。

 

しょっぱいだの野菜が少ないだの、タバコ臭い酔っ払いがうるさいだの、あらゆることに文句を言う。

 

そんなことを言われながら食べるご飯の何と不味いことか。

 

行きつけのお店や、好きなところになんて連れて行きたくない。

つまらない思いをするだけだからだ。

 

だったら好きな材料を買って家で好きなように作ってダラダラしている方が何倍もマシだ。

 

私はメシが不味くなるのが一番嫌いなんだ。

 

けれど、それを本人に向かって言えたことはない。

いや、一度それらしきことを酔った気安さで伝えてみたら、ハチャメチャにキレられたことがある。

 

一悶着あったが、別に解決の兆しはないので、もう言うのはヤメた。

 

母は母なりに、私たちにいろんなことを与えようとしてくれたのは分かっている。

分かっているけれど、それを受け取ってあげられないことが申し訳なく、辛い。

 

しかし、受け取るふりをし続けるのも、大人になると辛い。

 

親にとっていつもまでも子供は子供だと言うけれど、子供にとって親はいつの間にか親であり対等な1人の大人になっている。

 

親の将来のことも考えるし、自分を1人の人間として認めて解放してもらいたいとも思う。

 

上手に甘えられたら、この愛を一身に享受してあげられたら良いのにと思うのに、中々それは難しい。

 

いずれ私も母のようになるのかとぼんやり思うと、それはちょっと怖かったりする。

 

私が結婚や子供を持つことに興味がないこと全てを母のせいにするのは、それこそ甘えだと思うけれど、母の影響は大きい。

 

私は多分、苦しかった。

 

ずっと母に愛されることも、家庭のバランスを見ながら時に兄弟とぶつかったりしつつ、手のかからない子でいることが苦しかったのだろう。

 

「こんな思いさせるくらいなら子供なんてほしくない」と思ったことだけを覚えている。

 

それが一体何のきっかけだった、何が原因だったかは忘れてしまったが、そう思った記憶だけ残っている。

 

母は父との結婚生活に思うことがあるとよく零しているが、私に結婚を勧めてくる。

 

その理由が「愛する娘たちを持てて本当に幸せだったから」とよく話してくれるが、当の娘が「こんな思いを自分の子供にさせたくないから子供なんていらない」と思っているんだから、母が結婚を「良いものだ」とする私へのプレゼンの内容は根底から破綻した。

 

私は、結婚も出産もしてもしなくても良いと思っているし、どちらかと言うと出産を望んでいない。

 

母の愛はとってもありがたいのだけれど、申し訳ないが空回っているのだ。

ありがとう、嬉しいよ、あなたの愛は伝わっているよ

と、私はいつまで言い続ければ良いのだろう。

 

そんな途方も無いことを考えてしまう日曜日なのである…。