後輩くんはスペックだけ見ると親ガチャ勝ち組爆裂おぼっちゃまみたいな男だ。
社長も同じく、親ガチャ勝ち組に見えるが、2人とも家庭環境がズタボロ。
金はあっても人格破綻してしまっているのだが、私の会社はお金の有無は置いといて学歴でのし上がってきたタイプの人たちだ。
学歴でぶん殴ってくるタイプでもある。
私の学歴コンプはすごい。
F欄女子大wwwと自分で自虐はしても、他人に言われたら殺すぞと思う。
が、事実F欄女子大の国文学科なのは変わらないので言い返せない。から殺すしかない(過激派)
でも、そうは言っても第一志望もMARCHくらいの女子大だった。
アレ?私結構偏差値低くね?と気付いてしまった時の絶望感たるや。
良い大学に入らないとほぼ人生お終い。
さっさと結婚して自分で稼ぐ以外の安定を見つけなければ、と思っていた。
今までの職場はそこまで学歴を気にするような所ではなかったのだが、今の会社はどんなに能力があろうと良い大学・良い企業の経歴がないと人を入れない。
それを目の当たりにすると、高学歴ってクソだなと思ってしまうし、高学歴のクセに頭悪いなとも思う。
欲しい人材と中身がマッチしていなくても、学歴が良ければ採ってしまうし
キラキラ経歴だから良い仕事をするだろうと高額な給料を払う。
バカらしい。
経営層からインターンまでほぼ東大京大早慶なんです!が売りなベンチャーって一体…。
まぁ、それは良いのだ。
この環境は私の中で思ったよりも根深かった学歴コンプをビシバシ突いてくる。
学歴よりも人としての教養・倫理・賢さが大切だと思っていても
学歴がないと評価されないんだと思ってしまう。
この間、親の言いつけで嫌々入り、大して良い思い出もなかった自分の母校をボロカスに言う後輩くんに思わず突っ掛かってしまった。
いかんと思うのにコンプレックスの暴走が止まらなかった。
お前がどう思ってたってその肩書があるだけで人の見る目は変わる
F欄女子大と誰もが知る金持ち大学、履歴書を見たらほぼ8割はそっちを選ぶ
親がどうだろうが人間関係に恵まれてなかろうが、書くだけで選ばれる肩書き持たせてもらえる環境にいるクセに可哀想ぶってんじゃねぇ
文句言いながらも親元にいて家に一銭も払わずに貯金がどーだ俺の人格がなんだ
私が欲しいもの全部持ってるクセに舐めたクチきいてんじゃねーぞ
と、ブチギレてしまった。
学歴さえあれば、学歴さえあればと本当はずっと思っていた。
学歴さえあればこんな訳分からん理屈こねるソフトヤクザみたいな会社にいないのに
学歴さえあれば高給取りで年2回ボーナス出る会社にいれたかも知れないのに
そうすれば結婚も出産も悩まずに可愛い服着てジムに金出して綺麗な家に住んで可愛いインテリアとか買い放題で月1で美容室でメンテ♡とかできたかも知れないのに
学歴さえあれば私の方がずっと出来る人間だって証明できるのに
学歴さえあれば、人が耳を傾けてくれるのに
そう思っていたんだなぁ…と、自分でも驚き。
人の学歴なんて、この年でほぼ聞かないし興味ない。
やってる仕事に興味はあっても、会社名も興味ない。
学歴があってもロクな仕事につけない人もいるし、学歴がなくても素晴らしい仕事をしている人もいる。
学歴がなくたって、私がしたい人生を送っている人もいる。
どうしてそんなに学歴に拘るのだろう?と自分でも疑問だったが、やっぱり最後は私は家族に返ってしまうのだなと思った。
片田舎で両親、祖父母、叔父叔母が先生をしているというのは、子供の私からしたらとても誇らしい事だった。
先生の子だから、とよく周りの大人たちに言われていたし、両親は家でも私から見たら「先生」だった。
先生の子が頭が悪くては、親に恥をかかせる
先生の子だから、人より抜きん出ていなければならないと、幼いながらに思っていた。
先生なんだからお金持ちなんだろうとも言われていたので、優越感もあったしお金持ちアピールもした笑
言うほどないんだけどさw
勉強そのものは、結構今でも好きだ。
コレは自信を持って言えるが、私は勉強が好きなのだ。
でも、受験型の詰め込むタイプの勉強ではなくて、惹かれる事柄を深く好きなように調べてまとめて、自分の中に納めていくような勉強が好きだ。
でも、当時の私は学校のテストの成績が良くなければならないと思っていた。
算数は苦手だから、度々消しゴムを落としたフリをして前の席の子のカンニングをしていた。
先生気付いてたんだろうか。
同級生の仲良しの子に、後に東大に行くTくんがいたのだが
Tくんのお父さんと私のお母さんは同級生だった。
よく「Tくんのお父さんはママに勝てなかったんだけどなー」と言われていた。
だけどなーの後には、何でアンタはTくんに勝てないんだろうね?が入る。
母なりのギャグというか、ちょっとした武勇伝のつもりだったのだと思う。
だが、今でも嫌な記憶としてこびり付いているのだから当時の私にはプレッシャーだったのだろう。
勝たなくてはならないと思っていたけれど、小学生の頃から私より勉強が出来る子なんてゴロゴロしていた。
水泳もピアノも、何かしら輝かしい功績を…と焦っていた
習っているからできると思って立候補したピアノ伴奏は、全く弾けずにオーディションを退いた。
何を隠そう私はピアノが大嫌いだったからだ。
私はサラの楽譜を読むより、音を聞いてイメージし、どの音符がどの音なのかを掴まないと楽譜が読めない。曲を弾けない。
弾けないことはないが、正解のない道を探り探り行くのが苦手で、お手本を録音してくれる先生でなくなった途端ピアノが大嫌いになった。
同じ課題曲を5週も6週もやって怒られた。
母が後ろから手を掴む。
泣いてもやりたくないと言っても練習をやめさせてくれない。
こんなに辛い思いをしているのだから、きっと弾けるだろうと幼心に思うのだが、好きでやってる子は好きで何時間もピアノを弾くのだから勝てるわけがない。
ちなみにTくんもピアノをやっていたし、中3になってもその腕は衰えなかった。
Tくんとはバスケ部と水泳部が一緒だった。
頭が良くて優しくてユーモアがあった。
豊かな子だったなと、Tくんのことは今でも好ましく思う。
母はこのミニバスケの送迎を嫌がっているように見えた。
大会も、嫌がっているように見えた。
他の子の母親はみんな仲が良さそうで、楽しそうで、応援にも積極的で、羨ましかった。
自分で自転車で練習に行けるようになったのが嬉しかった。お母さんに嫌な顔されずに済む。
姉は要領が良かった。
成績は悪くなかったが、受験をしたくないのと栄えてる地区の高校に行きたいということで、推薦で割とヤバいバカ女子高に行った。
彼女の要領の良い所は
バカな女子高に行き→好成績を納め→内申点を果てしなく良くして→私の地頭では決して入らないお嬢様女子大に推薦で入ってしまえることだ。
ズルイなと思う。
そんなのはズルだと思っていた。
私は勉強して、地元では2番目に頭の良いお母さんの出身高校に正規ルートで入ろうと思っていた。
別に推薦も正規ルートなのだがw
中学生だったある日、頭の良い女の子に「大崎ちゃんには無理だよ」と言われたのを思い出す。
仲良くしてたギャルのEちゃんは行ける成績なのに、どうして先生の子の私はダメなんだろう
私頭いいと思ってたけど、馬鹿なのかも
と薄々勘付きつつ、一般受験でお父さんの母校の栄えてない方で1番の高校に進んだ。
お母さんの出身校には、全く手が届かなかった。
お父さんは喜んでくれたが、高校にあまり良い思い出はない。
そこでも120人中30番とか、そんなもんだった。
自分はそんなに競争する勉強に向いてないと気付いていたが、私は諦められなかった。
国語の成績だけは良かったからw
でも、大学受験も失敗した。
浪人しても良いよと言われたが、私が浪人してやる気が出せるとも思えなかった。
もっと早く自分が偏差値的な競争が得意でないと理解していたら、私にはもっと素直に好きなことを極める道があったかも…
それより何より、何度自分に失望し、何度親にガッカリされたかもと自分を責めただろう。
バカなクセに見栄を張って虚勢を張って、私ってなんて滑稽なんだろうと自分を責める。
でも、何でその虚勢があるかって親に喜んで欲しかったからだ。
先生の子供だということを誇りに思っていたからだ。
それに応えたかったんだから、それは頑張ったねと認めてあげたい。
母を恨む気持ちも認めてあげたい。
ピアノも習字も、後ろから母に手を掴まれて無理やりやらされるから大嫌いだった。
得意な絵も、母が「そんな漫画のような絵はダメ」と口出ししてくるから、母に作品を見せるのが嫌だった。
写真も「そんなぶりっこ顔しないで」と言われるから嫌い
無理やり写真に入らされるのも嫌い。
四年生の時、入賞した詩は私の作品を添削すると言ってほぼ母が作ったものだった。
6年間、表彰で全校生徒の前で賞状をもらうことは一度もなかった。
母に触られるのは大嫌い。
嫌な思い出しかないから、無理やり何かさせられるのではないかと体が拒絶する。
手を握って応援されたり、いってらっしゃいとハグされたり、顔を見ようと髪を触られたりされるのが大っ嫌いだ。
母の母親ごっこに付き合わされている気がする。
母の手が伸びると、嫌な気持ちになる
嫌悪している
だから私は、好きな人に触れて良いのか分からない。
抱き合うことも寄り添うことも、人の体温が気持ち良いのは分かっているけれど
愛しい思いを込めてハグしたり肩を寄せたり、そばにいて触れて良いのか分からない。
だからセックスするしかない。
その時だけは触られて良いから
でも触って良いのかはやっぱり分からない。
フェラする時くらいしか触れない。
触ってとも言えない。
小さな私は強がって暴れるしかなかった。
幼い頃は盗癖もあった。
こんな所で供養することになるとは思わなかった、小さな私の盗癖は、きっとアンダーグラウンドだったのだろうと思う。
小学校に上がったばかりの時にそれが問題になり、母には泣かれ父にはぶん殴られた。
一緒に死のうと言われた。
盗癖がなくなってからは、暴れん坊になった。
男の子泣かすなんて日常茶飯事。
毎日先生に食ってかかり、ポータブルCDプレーヤーを持っていって授業中こっそり聞いていた。
持ち物検査で見つかってよく怒られていた。
だが、盗癖がバレた一件以降、家での私は親の言うことを素直に聞く良い子だった。
眉を剃るなと言われれば剃らないし
スカートも長く化粧っ気もない。
母が先に家を出るので、その後にスカート短くしてパパッとマスカラをしてカラーリップをつけて家を出ていた。
家では品行方正で真面目な次女で、外では暴れん坊の外弁慶だ。
外の大人に甘えるしかなかった。
学校の閉鎖された空間でなら、大人に甘えても良かった。
母が私の素行の悪さを知るのは、先生と面談がある時だけだ。
それを凌げば、やっていられた。
親元を離れて大分色んなことが落ち着いたが、今まで幼い私をほったらかし、あらゆる傷を無視し続けたせいで、色んな問題が起きた。
まともな恋愛ができない
仕事はすぐ辞める
円形脱毛症が繰り返し出る
人の好意が気持ち悪い
自分の好意も気持ち悪い
こんなこと掘り起こされると思ってなくて、今オェーーーーってなってるwwww
ここに来たのも、そんな昔の私を供養するためなのかも知れない。