アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

私はくずぴでもなく姉でもなかった

先週の大きな前進としては、私が癒着状態だったのは実は姉だった…という点に気が付いたことだった。

 

母の期待に応えることだけを考えて30年生きてきたことに気付き、絶賛反抗期中の私であるが

 

どうにもくずぴとの癒着が外れない。

 

どうしてこんなに苦しいのか?

 

私の身に起こることは私が望んだことだとしたら、私は一体どうして苦しい恋愛を選ぶのか

 

恋人に求めるものは、保護者からもらえなかったものだと言う説を考えるに

 

  1. 私は安心して甘えられる人が欲しかった(常にくずぴに甘えようと努力しているので)
  2. それは父?母?祖父母?全員?
  3. じゃあ何故その人達から甘えて良い環境をもらえなかったの?

と掘り下げて行くと

 

あ〜!お姉ちゃんがいたからか!と、姉の存在に辿り着いた。

 

ウチは姉が甘えん坊だった。

幼稚園に行きたくないと駄々をこねて泣く。

祖父がお菓子を買ってあげるから行こうと、何とか姉の機嫌を取って幼稚園に向かう。

 

祖母は私たち姉妹にかける愛情は平等だったと思うが、やはり甘えん坊で優柔不断な姉はグズグズと手が掛かる。

 

祖母の時間は姉に多く費やされるし、2番目の私は姉と違う方法で愛されようとする。

 

そして私は、即断即決・気が強く、何でも自分で出来る、やりたがるきかんぼな子供に育った。

 

そんな自立の片鱗を見せ始めた頃、体が弱い妹が生まれる。

 

大人の時間はもちろん赤ちゃんの妹に注がれるし、私と姉は2人の時間が増える。

 

2人で寄り添いあって過ごして行く内に、私は姉のサポート係のようなものになった。

 

ココから、私と姉の関係はお姫様と騎士に変化する。

 

騎士は強く誇り高い存在だ。

 

いま思えば、私は男の子がいない父に寄り添って男の子になりたがったし

 

姉の良きパートナー、頼れる存在でいたかったし

 

母の要望をピピッと受信する気が利く従者だったし

 

妹(子分)を守る親分だった。

 

私は誰かに身を捧げることで、家族の幸せと自分の居場所を確立していた。

 

そして、思春期に入り自分は本物の騎士にはなり得ないと気がつく。

 

私のお手本はお姫様しかいなかった。

 

私はお姉ちゃんの良き理解で、運命のベストパートナーで、お姉ちゃんの半身だったハズだった。

 

自分と姉をほぼ同一視していて、私は対異性への対応は姉の真似をしていた。

 

けれど、独身時代はモテてモテて沢山のプレゼントと妬み嫉みを一身に受けるような生粋のお姫様と

 

ガッチリ鎧を付けた性別も分からない騎士では全く女性としての経験値が違う。

 

私は全くモテなかった。

 

訳が分からない内に私は歳を取り、姉は結婚して出て行った。

 

お姉ちゃんの半身は、運命のベストパートナーは、私ではなかった。

 

当たり前だ。私とお姉ちゃんは違う人間なのだから。

 

と、気が付いたのが先週?くらいの出来事だった。

 

姉が結婚したとき、私は「お姉ちゃん取られちゃった」と思った。

 

姉の旦那さんとも長い間姉妹ぐるみで仲良くしていたので、2人の結婚は嬉しかったけれど

 

お姉ちゃんが本当に私から離れて行くことにショックを覚えた記憶がある。

 

私は最愛の人にお姉ちゃんを置いていたのだから、くずぴも今まで関係を持った男性たちも、私を1番にしないに決まっている。

 

私を1番にしない人たちを、私が選んでいたのだ。そうでないと、お姉ちゃんや家族に何かあった時に動けなくなってしまう。

 

優先順位がハッキリする人を選んでいたのは、私だったのだ。

 

あの人は彼女がいるから私が切り捨てて行っても大丈夫と思えるし、私も罪悪感を感じずに済む。

 

姉との癒着に気が付いて以降、くずぴの癒着も薄らいできた気がする。

 

この人は別の個体で、私の一部ではない。

私も別の個体で、姉の一部でもくずぴの一部でもない。

 

それからは、トイレで後ろに並んでる人のことや私に何かを期待している人のことも気にならなくなってきた。

 

あらゆる物と癒着状態を作っていたのだと気がついた出来事だった。