アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

「家族」が私のキーワード

どうしてくずぴにこんなに固執してしまったのかなーと考える。

 

私の母は「家族の幸せがママの幸せ」が口癖な人だ。

けれど、それは何となく、私から見ると有難迷惑なものだった。

 

休みの日に出かけると不機嫌になる。

余裕がないとヒステリーを起こす。

父方の親戚の悪口を言う。

買い物に付き合いわないと不機嫌になる。

 

不機嫌になるくらいなら止めたら良いのにと思いつつ、実家を離れる時にお弁当を渡される時の何とも言えない、あの感じ。

 

母が考える「家族像」に、合わせなければならないあの感覚。

 

私にとっても家族は大切なのだが、解放されたかった。

愛されてることも分かっている。

何不自由なく育ててくれることが、どんなに大変かも分かっている。

 

けれど、それに報いなければいけないとは思わない。

だけど、これに罪悪感を感じている。

 

家族を愛しているし、大切だ。

何かあったら助けたいし、みんな幸せになって欲しい。

 

けれど、それと「私」は関係ない。

 

「家族」って何だろう。

「家族の総意」「家族が求めること」を、私はずっと追っていた。

 

家を継ごうか

結婚しようか

「家族」が求める職に就こうか

家族の行事に参加しなくちゃ

 

何よりも「家族」を大切にしてきた。

私にとっては法律だった。

 

けれど、「家族」って個の集合体だった。

私にとって「家族」の象徴だった姉が家を出た。

 

それは衝撃だった。

「家族」から人が抜けることがある??

もちろん嫁に行ったからといって交流が全くなくなる訳ではないのだが、私の中の法律…戒律?絶対的存在だった5人家族が当たり前に崩れる。

 

そして「家族」を強く望んで私を縛っていた母が、特に外に出ることを咎めたりしない。

 

むしろ喜んでいる。

 

私がしてきた我慢や、常識や、色んなこと

一体何だったんだろうと、ぼんやり空しくなってしまうような感覚。

 

それでも、私にとって「家族」は30年信じ続けたものだった。

私の行動を、人生を、決めてきた存在だった。

 

くずぴの家族仲が悪いことは聞いていた。

 

私から見ると「甘っちょろいこと言いやがって、十分幸せに育ってるじゃねーか」と思ってしまうが

 

そう感じる程度は個々人で違うので何とも言えないが、家族仲が悪いから結婚に意味を感じていないし、人を大事にできないと言う。

 

家族が絶対!家族大好き!で育ってきた私にとって、こんなに可哀想なことはない。

 

私は「家族像」からの解放は願っているが、たくさん大事な思い出があるのも事実だ。

私が「良いな」「素敵だな」「楽しいな」と思う基準は、家族からもらった普遍的なものだ。

 

感性が似ていると感じた彼に、家族の部分が欠けているなら、私はそれを与えてあげたいと思った。

 

救ってあげたいと思ったんだと思う。

 

けれど、彼女との生活を彼は「家族のようなもの」とくずぴは語った。

それがショックだった。

かつての私にとって、家族は全てだったからだ。

 

だから、くずぴの住民票が彼女の家にあることもショックだったし、彼の生活には彼女の存在が切っても切り離せないのがショックだったのだ。

 

「家族」が満たされているのなら、私が彼を愛する理由がどこにもなくなってしまうから。

私の愛を与える隙がなくなってしまうから。

 

でも、それは果たして愛なのか、エゴなのか、分からないじゃないか…。

 

私にとっての「家族」と、くずぴにとっての「家族」は、一体どう違っているんだろうか。

 

確かめてみれば良かったなと思う反面、それがもたらすものは何だったんだろうとも思う。

 

良くないものかも知れないし、もしかしたらもっと胸があったかくなるような幸福だったかも知れない。

 

くずぴは何かが欠けていた。

「家族」から離れ始めた私も、何かが欠けている。

 

向き合ってみれば良かったと思うし、今もまだチャンスはあるけれど、私と彼の幸福は決してイコールではない。

 

私と彼は別な存在なんだと、頭でなく心で分かり始めた今、それをすることを躊躇う自分がいる。