アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

正義の人をやめても荒ぶる過激派腐女子

私は昔から『正義の人』だった。

 

弱者は守るべきだ

理不尽な強者には立ち向かうべきだ

オタクは引っ込んでいるべきだ

良い女はこうしなければならない

 

私の行動は全てMUSTで決まっていて、それは理想的な自分像を目指したものだった。

 

だが、MUSTで固まった理想の自分像がぼろ・・・ぼろ・・・とカイジの効果音みたいに崩れたのは、くずぴのお陰なのかも知れない。

 

「自分軸」で生きているのか?

と、くずぴを想って苦しくて泣く自分に問いかけ続けた。

 

それは果たして自分軸なのか?

はたまた他人軸なのか?

 

嫌われたくない、好きになって欲しい、失敗したくない、拒絶されたくない

その感情は「私がしたくてしていること」という軸で私を動かすものなのだろうか。

 

そう継続的に何ヵ月も問いかけ続けていて、何となく一昨日くらいからハッとしている笑

 

私、好きにやって良いんだ!

やりたいから、言いたいからで動いて良いんだ!

 

と、何だか急に目覚めた笑

 

誰にどう思われても良い。

バカだと思われても良いし、面倒な女だと思われても良い。

こいつ感情的だなと思われたって構わない。

 

だって私が言いたくて言ったんだもん

他の人なんて関係ないし、空気なんて読まないよん

 

今までの私は、MUSTの塊だった。

そして人を動かそうとしていたし、動いてくれない人には拗ねて我慢していた。

 

この人には何を言ったって無駄だ

これを言ったら面倒なやつだと思われちゃう

これを言ったら大人げないだろう

 

なんて思考はどこへやら

 

ムカついたら「それムカつくから止めろ」と言い

おかしいぞ?と思ったら「それおかしいんじゃないの?」と言い

 

四方八方にケンカを売り歩いている。

 

それでも良いのだ。

だって「私が」したくてやったんだから、どうなったって良いのだ。

私が「言うぞ!」と選択したんだから。

 

そうだ!私ケンカ好きなんだった!と思い出した笑

 

私は競争が好きだ

ディベートが好きだ

誰かに勝つのが好きだ

負けるのは嫌いだけど、戦うのが好きなんだった!

 

今まで「人の為、弱者のため」と思って他人の土俵に勝手に上っていたのだが、「あなたの為よ」と言って勝手に戦いの炎が燃えてしまった人は、きっと迷惑だっただろうなぁ…。

 

「私が気にくわねーんだ!表出ろ!」と、昔からやれば良かった笑

 

私は、今まで人に滅多に嫌われないことを自分の長所だと思っていたけど、それで自分が参ってしまったら意味がない。

 

この空気読めまくる力で、今まで我慢していたいろんな事にケンカを売っていこう笑

それは、会社の人間関係やくずぴだけじゃない

社会にもそうだし、くすぶっている私自身にもだ。

 

何だか楽しくなってきたぞ~!