アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

断る勇気がない=自分を大事にできてない

あぁ、断る勇気よ…

「嫌じゃない」「その時は良いと思った」が多い私。

 

良いですね〜!

楽しそうですね〜!

行ってみた〜い!

 

の、責任をとるクセを何とかしたい…。

相手がノリ気になって計画を始めたり、日程をつめてきたりすると

「うっ…」となって断れなくなってしまう。

 

まぁ、行ったら楽しいかも知れないし。

時間がすぎれば終わることよ

 

って思ってる時点であんまり楽しみにしてないんじゃんって感じなんだけど。

 

他にも

「これは会いたいって意味か?」

とか、変な勘繰りをして、ガッカリさせたくないとか、好かれたいとかで応じてしまう。

 

そうして自分が思ったように物事が進まないと、ムダなことをしたと徒労に苛まれて嫌になって関係をブチ切ってしまうのだ。

 

だったら最初から、ちゃんと「行かない」「したくない」「それは傷つくからやめてほしい」と伝えないと、結果自分も相手も傷つけることになってしまう。

 

そんなことに思いを馳せていたら、「嬉しかった」「楽しかった」「好き」もちゃんと言ったことがないなぁと思い至った。

 

伝えているつもりなのだが、何だか言ったら重たいかも知れないとか、望まれていない好意は面倒だろうとか、最近そういう思考が掠める瞬間の多さに驚く。

 

言葉なんて言うだけタダなんだから言えば良いのにと人には言っていたが、何だか私も言えてないな〜。

 

昔は自分の立ち位置を表明することは相手への誠意だと豪語していたハズなのに、いつの間に忘れてしまったのか私。

 

何と言うか、やっぱり「嫌じゃない」「嫌いじゃない」に引っ張られてしまって

 

後輩によく「先輩は面倒くさい人の相手するのは偉いけど、面白い内にやめないから嫌な思いするんですよ」と諭されていた。

 

ふつうは面倒な人は大抵距離を開けられるから、受け入れてくれる人に全力でのしかかってくるぞと。

 

何だかそれが快感だった気もするし、そういうのに安心していたのかも知れない。

 

そして面倒な人は大抵「この人には嫌な思いの蓄積が多いから傷つけても仕方ない」と自分に言い訳が立ちやすい。

 

不健全だ。

相手にも私自身にも不健全だ。

 

思ったより嫌われないんだから、ちゃんと声に出してみようかなと、改めて決意をしてみたり。