何をしてもグルグル悩んでいて、もはやコレは趣味だとすら思えて来た。
とりあえずお腹にグッときた時は「お、趣味の時間?」と自分を煽ってみる。
普通にムカつくw
そして意外と効くのが脳内会議だ。
脳内会議に意識を集中し、考えすぎの根源を探る。
私のやっちまえ言っちまえ精神は、衝動でなくネガティブの暴走だった。
どうせダメになるんだったら自分の手でダメにしちゃえば良い!と脳内の吉田羊が叫ぶのだ。
そういう時、大体理性はオロオロしてるし
記憶はページをめくりまくってネガティブの証拠をかき集める。
ネガティブが「死んでやるー!!」って包丁振り回してるなぁと見つめられたら、ポジティブ神木くんが「まぁまぁ」と言い出すのを待つのだ。
ポジティブが話し出すと、今度は記憶はポジティブな証拠を探し始める。
「でもさぁ、もしかしてこういう可能性があるのかもよ?」といくつかの選択を提示してくる。
ポジティブに目を向けてみると、結構いろんな考えが浮かんでくるのだ。
単に気乗りしなかったのかもよ?
前もこう言ってたし、こういう思考かもよ
でもついこないだまで仲良くしてたんだから、多分大丈夫だよ
ポジティブな可能性って思ったよりたくさんあって、ちょっと驚いた。
ネガティブ一択だった思考が落ち着きはじめたら、最後には衝動に聞くことにしている。
「私、どうしたい?」
でもここまで会議が進むと、衝動は落ち着いて椅子に座っている。
そして大体「どうもしたくなーい、面倒くさーい」と言うのだ。
衝動に判断を委ねようとしていた理性は「正解はどれだ?」「どこに行けば良いんだ?」「私はどうしたいんだ一体?」とオロオロしはじめ
正解を探し出すとネガティブがまた「どう転んだってダメなのよ!」と騒ぎ出す。
私のネガティブって、結構ヒステリックだ笑
人と人とのことで、私の生活の話で、正解ってきっとないし、1個でもないし
その正解は今時点の正解であって、後々「あぁ間違えた」って思うこともあるだろうし、10年後とかにはまた別な方向に転んでいるかも知れない。
そうなるともう、悩むのってあんまり意味がないんだが、やっぱり趣味なんじゃないだろうか?
心がぐらんぐらん揺れて、自分の一言に返ってくる相手の返事に、一挙手一投足に振り回されるのは私の趣味なのでは?
人生は全て自作自演か…