こんなことを言ったら引かれそうだが、私は今まで自分の好き嫌いがよく分かっていなかった。
誰かを嫌っちゃいけないんだと思っていた。
『この人が嫌い』ではなく『こういうタイプの人が嫌い』なんだと言い聞かせてきた。
この人がこんな態度を取るのには理由がある
私の物差しで善悪を決めてるからこの人がイヤなんだ
私の見方を変えれば良いんだ
と思い込んでいたが、職場の上司がイヤすぎて、遂に本人に向かって啖呵を切ってしまった。
そしていつも通り「何でこんなにあの人の態度が嫌なんだろう?」と考え続けていたのだが、答えにたどり着く。
「私この人のこと大っっっっっ嫌いなんだ!」
今まで考えたこともなかった。
根は悪い人じゃないんだとか
アイツがこうなったのにも事情があるんだとか
生きてきた環境が違うんだから私の理解が及ばないこともあろうとか
本当に「この人が嫌いな訳じゃない言い訳」をたくさん並べてきたんだが、違うんだ!
私この人のこと嫌いだから
自分のことじゃなくても気に入らなければケンカ売るし
何もかもが鼻につくし
全人格を否定したくなるんだね!!
ものすごい発見だった。
嫌いなら離れれば良いのだ。
仲よくしようとしなくても良いし、声も聞かないようにすれば良いし、近づかないようにすれば良い。
大人として~
私人懐っこい性格だし~
こんな上司でも上手くやらなきゃ~
などなど、思ってたけど、ぜーんぶ止めた!
だって嫌いなんだもん!
この人自体は嫌いじゃないとか、仲よくしなきゃとか思ってたからいけないんだ!
動物は同じ空間にいても仲良くする必要ない個体とは知らんぷりするもんな。
はぁ、スゴイ!嫌いってすごい!
悪い感情じゃないのだ。
みんな仲良くとか、同じチームなんだからとか、全然関係ねーや!
穏便に生きていこうと思ったら離れれば良いんだ!
ものすごい発見だった。
この発見を姉に報告したら、メッチャ引かれた。
ちなみに私の嫌いな人論は「自分の短所の投影」と考えている。
私は嫌いなヤツが許せないことを言うと、頭が真っ白になるし周りが見えなくなるし手足が冷たくなるほど怒りを感じる。
それは、私が幼い頃から母に言われてきた「自分の物差しで人を計っちゃいけない」という教えに背くことをした時だ。
私は昔から正義のつもりで人とケンカをする奴だった。
その度に母に言われるのは
自分の物差しで人を計ってはいけない
↓
自分の価値観で他者に対して正誤を押し付けてはいけない
↓
他者の気持ちや事情を組まずに侵害してはいけない
と、私は解釈した。
それを私は母の教え通り、自分に禁じてきたつもりだった。
だが何だか上手くいかない。
何年かに1度は取り返しのつかないケンカをするし、いつも誰かや何かを批判している。
人を嫌いになるってことは、自分の物差しで他人の良し悪しを決める行為だと思い込んでいた(のかなぁ?)
なので、私は人を嫌ってはいけなかったのだ。
でも、本当は違った。
自分の物差しで「この人と私の価値観は合わなそうだ」と思ったらスッと離れれば良いだけだった。
それが「嫌い」という表現が合っているのかは分からないが、嫌いで良かったのだ。
そうすることで、合わない他者の領域を侵すことがなくなるのだ。
私が決して他人にしてはいけないと30年禁じている行為を平然とやってのける人間を、嫌悪しない訳がない。
私がずーーーっと注意されつづけ、人間関係で苦労して、人に嫌な思いをさせたくないと思って我慢していたことを平然と悪気なくする人間なんて、排除しようとするに決まっていたのだ。
私は人を嫌って良いのだ!
「この人が嫌いなんだな」と察して離れれば、平和でいられたんだ!
こんな簡単なことなのに、何でみんなもっと早く教えてくれなかったんだ!