心無い者たちはいつから心がなくなってしまうのだろう??
もともと無かったのかも知れないし、教わらなかったのかも知れない。
今の環境は心無い者たちが4人ほどいるのだが、たった4人の存在でどこまでも雰囲気が悪くなっていくんだからスゴイなぁと思う。
しかもその全員が立派な学歴の持ち主で、心を無くすことと学歴は何か関係あるのかな?とすら思う。
それよりも全員、家庭環境が多分『ふつう』と言われる状態ではなかった、という方が関連性が強いだろうか。
でも、仲の良い後輩君は家庭環境はヤバそうだけど私と考え方が似通っている。
そして高学歴だ。そして実家がお金持ちだ。
一体どんな要素が絡むと心がなくなってしまうのかなぁ。
心無い人たちを観察していると、ナチュラルに人を人と思わない。
それに、自分のこともあまり大事にしていないように思える。
彼ら彼女らが目的を達成するために払う犠牲は、双方を不幸にしているように見えるが、本人たちはそう思っていないらしい。
何なら犠牲だとも思っていなそうだ。
自分の時間、人の時間、労力、やりがい等々…
色んなものをガシガシ削っている自覚がない。
「難しい目標に到達した喜びを分かち合おう」と言われても、そこまでのプロセスが全く充実感のあるものではないので、目的を達成したところで何も嬉しくない。
望んで積極的に動いていないので「はぁ、良かったですね」としか言いようがない。
心無い者たちはナゼみんなが喜んでいないのかピンとこない。
「苦労して大変な思いしたけど、目的達成だよ!嬉しいよね!?ね!?」と、困惑している。
心身を踏みにじられながら泥水に顔突っ込まれながら達成した目標の何が嬉しいというのだろうかと思ってしまうが、結果が出ているのだから彼ら彼女らが正義なのだろう。
目標達成が大目的ならそれで良いと思う。
駒として存分にボロ雑巾にしていけば良いと思うのだが、喜びを分かち合うところまでが目標なら、ちょっとやり方を変えなければならないね。と思う。
心無い者たちのスゴイところは、本当に色んなものを犠牲にしながら数字をどこまでも追っていくところだ。
コレが学歴社会の勝者か~って感じだ。
私はD~Fランをウロウロしている女子大を出ているが、それはそれで良かったと思っている。
私の周りの子たちの方がよっぽど心が豊かで楽しそうに生きている。
まぁ、アチラさんも同じように自分の生きてきた環境に誇りを持っているだろうし
社会的にはもちろんアチラが正義ですから何とも言えないけれど、いま同じ組織に所属する者としては同じくくりの中にいるから感想を抱くことくらいは許してほしい。
そして、高学歴・高収入で働く気の良い友人ももちろんいる。友人達は心がある。
だから一概に高学歴を叩こうってんじゃないのだ。
どこでどうして心がなくなってしまったのかなと、結構ホントに本気で不思議なのだ。
でもやっぱり、友人たちと心無い者たちの違いは自分を大事にしているか、幸せにしているか?という点が大きく違う気がしている。
心無い者たちを見ていると、生きてて楽しい?と思うのだ。
心無い者たちに憤ったりケンカを吹っ掛けたり噛みついたり爆弾を投げたりしてきた私だけれど、今は「あなた達は幸せ?」と聞きたい気持ちである。