アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

リーダー像とファザコンと

すっかり窓際族が定着し悠々自適に過ごしている私であるが、やっぱりいつも誰かに必要とされたいと思っている。

 

人間は社会的な生き物というのは本当だな~と思う。

 

社内にも私の味方というか、本音を話せる人はいるし何なら増えてきた。

今の体制をおかしいと思う人がいて良かったな~と思う一方、彼らは体制と戦ったり批判したりはしない。

 

生活がかかっているから当然と言えば当然なのだが「そっか~」という気持ち。

 

昨日電車で座っていたら、目の前のおじさん二人組の会話が聞こえてきた。

何で俺が偉くなろうとしてるか教えてやるよ

という内容だった。

 

ほう、どうして出世しようとしてるのかな?と聞き耳を立てていたら

 

自分が正しいと思ったことを通すためだ

 

とおじさんは言う。

 

肩書があれば、自分が正しいと思ったことが押し通せるらしい。

だから、正しいことをするために出世するそうだ。

 

下からどんな意見が出ても、最後は「お前俺より偉いわけ?」で黙らせることができるそうだ。

 

あぁ、そうか…。と、ちょっと悲しい気持ちになった。

最後の決断を下す人になるというのは、良い考えかも知れない。

 

私は今まで、上に立つ者は

経験も知識も豊富で

柔軟で

下の者の話をよく聞き

組織の最善を導ける人間

それを望む人間が成るものだと思っていた

 

それがリーダーで、リーダーになりたい人とはそういう人だと思っていた。

私の父が語るリーダー像がそれだったなぁと、何となく思い出している。

 

私の父も一組織のリーダーだった。

家族の中でも仕事場でも、父がリーダーだ。

父のことは尊敬しているし、好きだ。

 

私は先生にも先輩にも、コーチにも職場の上司にも、父のようなリーダーであるべきだと思っていた。

 

そう投影してたんだな~と今気が付いた。

 

今まで父のことなんて考えたことなかったのに、不思議である。

私意外とファザコンだったんだな。

 

今まで何でこんなにどこに行っても『上の人』とぶつかってきたのかと思ったら、ファザコンが原因か笑

 

でも、おじさんの話を聞いて「あぁそうか」と腑に落ちたのだ。

 

おじさんは電車で乗り合わせただけだから、良く知らないけど

私の今いる場所のリーダーは組織を善くするためには動いていない

もちろん世の中の幸福のためにも動いていない

 

この小さな山の上で、最後の決定ができる人である為に動いている。

遂に実質社長の座まで狙いだしたしね笑

 

私は、私たちはこの会社で社会を変えるために集った仲間だと思ってたけれど、違った。

 

彼の私たちの扱いは道具のようだ、機械のようだと思っていたが、本当にそうなんだろう。

 

だから楯突く私は欠陥品だし、仕組みに納得できずに迎合しない者たちは使えないと判断される。

 

1人1人がどんな人間で、何が得意で何が不得意で、どんな思いを持っていて…

そんなことはどうだって良いのだ。

 

先日のMTGで、私がこの組織に来た志を根底から覆されるようなビジョンが発表された。

 

「僕の想いはこうです」と発表されたが、私がこの組織にいる想いとは全く違う。

 

私の想いは会社の想いに順じて来たのだが、そうでないとなると一体このチームは何なんだ?

 

あぁ、やはりココにいる意味なんてないんだなぁと、改めて思った。

 

でも、理想のリーダーはいない。

私の父だって、本当に理想的な人物だったのかは分からない。

 

けれど、慕われる人だったことは間違いないとは思う。

 

それで良いのかも知れない。

私も理想の父に囚われて、リーダー本人を見ていなかったのかも知れない。

 

この会社が好きだったんだなと思う。

人の役に立ちたくて、理想があって、熱があったんだろうなと今なら思える。