私はシロクマさんの、肯定しつつ否定するようなものの見方が好きだ。
ある物事を良しとする人、悪しとする人両法のスタンスを理解しつつ、自分はどちらだとは言い切らないけど何かシロクマさん自身の考え方がじわっと伝わるような文章が好きである。
今回読んでいて「あぁ…」となったのはこの記事だ。
私の会社の経営層はまさにこの『ブルジョア』的考え方の人々で、数字以外のものにはてんで無頓着である。
少し前まではそれを真っ向から否定して戦争を仕掛けていたが、最近は私も悟りを開いて「お好きですねぇ」くらいに落ち着いた。
この記事に書いてある通り、私はここに来て改めて自分がコスパとか儲けとかに興味がないんだな~と気が付いたのだ。
思えば、電子辞書もそんなに好きじゃない。
私は寄り道が好きだから、辞書の中でも寄り道したいのだ。
本屋さんでも、検索機能は使わない。
目当ての本を探しながら、何か面白そうな本があるかも知れないからだ。
駅からちょっと歩く家も嫌いじゃない。
道の途中にある商店街には、美味しいお総菜屋さんがあって、思わぬ路地にラーメン屋があって、空き店舗にいつの間にか新しいお店ができていたりするのを発見するからだ。
でも、シロクマさんの言う通り私が町や生活に愛着を持つように、ブルジョア思考の人たちは資本主義に愛着を持っている。
それはどっちが良くてどっちが悪いではなく、何が好きで何に価値があるのかを見出すかなのだろう。
私の生き方は、生活の中でより多くの愛着あるものを見つけて行くことで、それは効率化とは無縁の物なような気がする。(効率や数字に愛着を持つというのもあるのかも知れないが)
ウチの社長は、人に対しても「コスパ」という単語を使う。
教育に関するコスパを良くしたい
人件費のコスパを良くするには
等など
コストパフォーマンスって、人にも使うんだぁ…と思った。
教育はコストか?
私は教員一家で生きて来たから、父と母が寝ても覚めてもクラスの子供たちや学校のこと、指導の在り方、教育とは何かに四六時中向き合っている姿を見て来た。
効率を愛する人達からすれば、こんなにコスパが悪いことないだろうなぁ
学校の中の仕組みを効率化することは良いと思う。
父母を見れば先生たちがどれ程の業務を抱えているか分かる。
でも、人と向き合うこと、教えることは、決して効率だけでは語れない部分があると思う。
勉強の教え方だって効率化はできるが、それによって零れてしまう子供を出さないように、いつも父母は目を光らせ頭を使っていた。
会社と学校は違うのかも知れない。
知れないけれど、民間で働いていて思うのは、やっぱり人相手の商売はコスパでは割り切れないし、会社で働いているのもまた人なのだ。
コスパ好きしか集まらない会社なら良いのかも知れないが、コスパ好きとそうでない人が一緒になるとちょっと寂しい思いをたくさんするのだなぁと思うのだなぁ。
まとまりのない終わり。