アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

ママへのリスペクトを忘れたくないと思う

ウチの姉妹はお金に弱い。

弱いとは、何というかガバガバだ。

 

姉なんて結婚してから発覚した20万の滞納していた税金の支払いを父に頼んだし、私は今だに親に会うとお小遣いをもらっているし、妹も引っ越した際に出た住民税の一括納付約12万の支払いを母に肩代わりしてもらっていた。

 

全員25すぎてからの話である。

 

あるんだからもらえば良いじゃん、とも思うのだが、30になって私は自分の引っ越し費用30万と各種行政系の支払いトータル20万を何とか自分で払い切って

 

キチンと自分の生活を自分のお金で成り立たせることも、自立と自尊心の構築につながると学んだ。

 

ウチの両親はお金に不自由をさせない人たちだった。

 

お金がないお金がないとは言うものの、奨学金なしで3人を4年制大学まで出し

 

田舎から東京に出し

毎月家賃と生活費計30万近くを4年間払い続けた。

 

そりゃお金がないわなとは思いつつも、何不自由なく育ててもらったと思う。

 

とても感謝している。

 

かと言って、自由にアレコレ選べた人生ではないと思っている。

 

今までの分岐でベストな選択をしてきたと思っているから、あまり後悔するタイプではないが

 

未だに「美容の道に進んでいたらどうなっただろう」と思う。

 

私が過去に思いを馳せるとしたら、唯一と言っていいくらい

 

メイクの道に進みたかった。

 

就活のときにでもいくらでも選べたかも知れないが、美に関することを嫌う母なのでそんな事はできなかった。

 

私たち姉妹は思ったより母のご機嫌を伺いながら生きてきた。

 

でも、自分の主義主張を押し通すほどのことはできない。

 

何せお金を出してもらっているからだ。

 

父と母が昼夜問わず、平日休日関係なく一生懸命働いたお金だ。

 

しかもウチは両親とも公務員だったので、税金から出ているお金だ。

 

(でも、よくよく考えたら公務員も税金払ってるんですけどと思うが、両親はいつも「コレは税金だから」と言って決して派手な使い方はしなかった。田舎だから、出来なかったとも言えるけれど)

 

いわば、ずっと「人様の税金で何不自由ない暮らしができている」という感覚で生きてきた。

 

しかし、私は民間で働いていて、もう「これは税金」ではなくて

 

しかも今までこんな額親に頼まないと払えない

 

自力で払うなんて到底不可能だと思っていた金額を

 

自分で、自分のお金で、1人で払い切った。(その間お小遣いをもらうタイミングはあるが、年2万くらいなんだからカウントしない!)

 

そうなった時に、私は1人の自力した大人で

両親も1人の人間で

 

実は行動の制約もお金の制約も、何もないんだと気が付いた。

 

と、同時に純粋な気持ちで母を1人の人間としてみた時「あ〜!好きじゃないなー!」と思ったし

 

「でもこの人、30年激務こなして土地まで買って全部払い切った人なのか」と、働く女性としての尊敬もしたし

 

母親として見たときに「私や姉妹はママに喜んでもらいたくて生きてきたんだな。ママのこと好きなんだろうな」と、結構純粋に思った。

 

毒親だのクソババアだの頭おかしいだの思っていたが、1人の人間として見たときに嫌いだなと思っても、母としてのママのことは好きだし、仕事人としてのママのことは本当に尊敬できる。

 

人として距離を置くことはあるだろうが、尊敬する気持ちは忘れたくないなと思った。

 

お金に関して考える年末である。