アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

公務員家系とお金の考え方の話し

実はお金に関して考える機会が増えたのが、税金を払い終えたことと同時に私の副業が乗ってきたことが関わっている。

 

あと、都心で働いているので、ルミネやパルコみたいな単価で買い物できない商業施設がバカバカある環境に身を置いていることも関係している。

 

お金って、毎月決まった額がコンスタントに得られるものだと思っていた。

 

それ以外はみんな泡銭で、基準値を超えたお金は持っているだけでバチがあたるから、サッと使わなければ!と思っていた。

 

私にとって基準値を超えるお金を稼ぐことは、悪だった。

 

何故か?

 

両親・祖父母とも公務員だったからじゃないか?と考えている。

 

公務員副業ダメだからね。

 

あと、記憶に残っているのが、私がまだ幼く景気が良かった頃

 

父が冬のボーナス全額と貯めていたお金、合わせて100万おろしてきたことがあった。

 

完全に酔った勢いだが、父なりに「頑張ったんだぞー!」と家族に見せたかったのだと思うし、100万を生で目にする機会もないから面白いだろうと思ったんじゃなかろうか。

 

そんなほろ酔いの父に向かって母がカウンター越しに「そんなうっすい札束…」と、割と嫌悪感を持って言い放ったのを覚えている。

 

これは本当に札束が薄かったとかではなく、貶すことで「稼いできたぞ!これがお金だぞ!」と子供たちに見せている父を止めようとしているのが分かった。

 

子供ながらに「お金をたくさん持っていることは、いやらしい事なんだ」と思ったのを覚えている。

 

同様に母は太っていることや肌荒れなどを貶しはするが

 

美に関すること、性的なことは皆いやらしく、モテるとか恋愛を意識して行動したりすることを嫌悪しているように見えた。

 

というか嫌悪している、と娘たちの間では共通認識を持っている。

 

お金を稼ぐことは悪。

人様の税金から出ているお給料だから、お金を持っていると見せるのも悪。

一定の額を超えてお金を得ることは悪。

 

私にとって、お金は罪悪感の塊だし、潜在意識の中でお金を持つと母に嫌われてしまうと思っていたのかも知れない。

 

何でも母のせいにするのもどうなの?と思うが、親からの影響とはとても大きいなと最近本当に思う。

 

が、しかし

 

先のブログでも書いたが、約50万を自分で払い切った今、私にはお金を得る為の運がジワジワ近付いてきている。

 

コレを大事にしたい。

 

今の会社のお給料は、当時の私が自分を低く見積もってしまったお陰で、生きていけるし多少の贅沢はできるが…!という額だ。

 

今はもっと「自分には価値があった、そして価値が上がっている」と思える。

 

もう100万くらい年収上げて良いんじゃないかくらい。

 

仕事運もそうなのだが、ギャンブル運もジワっと出てきているのが不思議だ。

 

だが、これは多分神的な何かが「お金の考え方変え時!」って出してきているギャンブル運なのだ。

 

私の神はガチで落ち込んでメンタルがアレの時にそっとギャンブル運を上げてくれる粋なやつなのだが

 

お金に困っていないときに仕事とギャンブル運を運んできてくれるなんて

 

「あんたもっと稼げるよ。ちょっと自分の価値見直して、ちゃんと報酬受け取んなよ」と言ってるんじゃないかと思っている。

 

断っておくが怪しい宗教ではない。

 

私の神は私の中にいて、倫理観とか直感とか、あとお腹痛くて死にそうな時とかに祈る用にいる。

 

あと人を悪く言ったときに「違うんですごめんなさい」と祈る用にいる。

 

そして、◯◯ヒルズ的な

◯◯ミッドタウン的な

◯◯◯銀座店的なところを昼時に徘徊する立地に会社があるため

 

いろんな物の単価が高い。

 

コーヒー高い!

パン高い!

お昼高い!

 

チラッと覗いた服屋の服が高ーーーい!!!

 

こんなものに囲まれて生活してる人いるんだ…。

 

これが私にとってのルミネみたいなもんって人もいるんだ…。

 

と、日々発見しているのだが、それも「もっと稼ぐ人が世の中にはいるんだなぁ。私にもできなくないんでは??」と思えるきっかけになっている。

 

2万のパジャマ…ほしい…!

野菜を入れる2000円くらいの籠、ほしい!

 

値段を見ずに好きなもの買えるようになりたい!

 

みたいな欲求が、結構顕著にある。

幸い副業はうまく行っているし、コレからスクールを経て、また新たな仕事ができる。

 

そこから新しくライティングの仕事も専門性を持って深めることができる。

 

ヤバイ。波、きてる。