アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

人のためにお金を使ってみる試み

今、初めて募金したアフロ田中と同じような気持ちになっている。

 

この試みの発端は、人に奢った時になんだか金回りが良くなる気がしたから、ということから始まった。

 

きっかけはインターンの子たちにせがまれ一緒にランチに行った時。

いくら私がここに参加するのは本意でなかったとは言え、10も年下の子達と割り勘するのも年上としての沽券に関わると思い、ほとんど私が出して彼らには端数を出してもらった。

 

万年貧乏のお財布には痛かった…

 

が、その後ちょっとしたギャンブルで2.5万円勝ち

 

おばあちゃんにお年玉をあげたら親からその倍もらい

 

いつも頼まれた2、3時間だけちょろっと手伝いにいくバイトが2日間8時間来てくれと頼まれ(個人店のお留守番だから気楽で楽チン)

 

いつも給料日前はカッツカツだった私のお財布がそれなりに潤っているのだ。

 

思えば、私の周りの金回りの良い人たちは人のためにお金を使うことを惜しまない。

 

「なんでもかんでも使っててみんなのお財布になっている」という意味ではなく、自分が会いたい人・食べたい物がある時に「私が持つから行こうよ!」と言える気前の良さがある。

 

まぁ、その人たちは自分で商売をしていたり、持ち家だったりするのでそりゃお金に余裕があるだろうとは思うのだが

 

何だかんだ私も来月どうしているか分からないような貧乏さではない。

 

なんか「日頃の感謝を込めて」とか「いつも良くてもらってるから」とか、そういう動機で人のためにお金を使うのも悪くないな〜と思ってちょこっと実践してみているのだ。

 

これで金回りが良くなったりしないかな〜という下心はあるものの

 

余裕がある人たちがどんな気持ちでお金を使っているのか?とか

何に使うかをどう見極めているのか?とか

お金と私の今までの付き合い方ってどうだったかな?とか

 

ちょっと見つめ直してみようと思うのだ。

 

お金との付き合い方とパートナーシップは似るらしい。

 

ということは、『余裕があるはずなのにいつもほぼゼロまでお金を使い切ってしまう、自称万年貧乏』というお金と私の関係は、あらゆる人間関係にも当てはまるということなんじゃなかろうか。

 

何だかこの辺を解きほぐしていければ、万年貧乏も万年セフレ生活も清算出来る気がする。

 

2020年、私とお金の新しい付き合い方を模索してみる。

 

 

そういえば、何でこんなことを書いたのかというと「人のために使うか〜!」ということでオーストラリアの森林火災に募金しようと思ったのだった。

だから冒頭でアフロ田中の話を書いたんだ。

 

何だけど、海外にクレジットカードで送金するのがちょっと怖くて躊躇している。

日本円で募金できるところはないのだろうかー

 

探してみる。