アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

「そんなの誰も見てないよ」の呪い

服や化粧に悩んでるとき、相手を急かすために「そんなの誰も見てないよ」と言ってはいないだろうか?

 

私の母の口癖はそれだった。

 

姉も母も恐ろしく準備に時間がかかる女で、母は段取りが悪くて・姉はこだわり過ぎているせいだった。

 

母はやってもやらなくても良いことに時間を割き、自分でイライラし始め

 

父は父で母の手伝いをしようとすると邪険にされるわ女どもの準備が遅いわでイライラし始め

 

お出かけはあんまり好きじゃなかったなぁと思う。

 

母は着飾ったり化粧したりするのに拒否反応を示すので

 

自分の準備もそこそこに今度は姉や妹をせっつき始める。

 

「アンタなんか誰も見てないんだから何着ても一緒だよ!」と言っているのをよく聞いた。

 

私は、みんながイライラし始めるのが嫌で、適当な服でスッピンで、とにかく父と母のサポートに回った。

 

そして、見事に今も小ダサイ女である。

 

美の道に踏み出したは良いモノの、そんな環境で私が触れられる美はせいぜいスキンケアくらいだった。

 

化粧は好きだけど、服は本当に分からない。

 

美容液な1万5千円出せても、今だに服1着に同じ額は出せない…

 

プチプラも馬鹿に出来ないクオリティなのだが、やはり良い服は生地から縫い方から全然違う。

 

そして服に対する思い入れも違う。

 

自慢だが私の母は美人だ。

安達祐実みたいな、仲間由紀恵みたいな、そんな雰囲気の美人なのだが

 

そのせいで着飾ることを辞めたのだろうか?

 

せっかく美人なんだから、美人らしくすれば良いのにといつも思う。

母は着物は好きだ。

普段着もしないし、普段着は妹のお下がりかジャージしか着ないのに

 

着物は何時間もかけて人を連れ回してあーでもないこーでもないしながら何十万と出したりする。

 

母の中で「お金を出す価値がある物とそうでない物」があるんだろうとは思うが

 

常日頃「どうせ誰も私なんて見てない」と思っている人間が、高価なものを所有したからと言ってそれに見合う人になれるとは思わない。

 

母が思う「真の美しさ」と、私が思う「真の美しさ」は違うんだろうなと思いはすれ

 

娘の美に対する意識をガクッと下げるのは母の教育だなと思う。

 

妹は反動で着道楽に走り、姉は子供を産んでからは自分に無頓着になった。

 

そして私は、粗治療しようかと1着2万のブラウスを検索しては閉じ、検索しては閉じしている…。