アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

変わることは過去への裏切り行為なのか

自粛期間中「これでもか!」ってくらい自分と向き合い続ける日々だったが、ある時「私って本当は素直で可愛いやつなんじゃないか?」と気が付いた。

 

争いごと大好き!

喧嘩大好き!

 

だと思っていたのだが、それすらも自分を防衛する為の手段だったのではないか?

 

そこで嫌いな人相手にも「ありがとう」と「ごめんなさい」をちゃんと言う。

余計な争いごとは首を突っ込まない。

自分が楽しいと思えることをちゃんとする。

可愛い自分を受け入れる。

 

という試みを続けているが、可愛い自分に対する「あわわわ」感が中々抜けない。

 

そ、そんな素直なこと言って大丈夫か?

後から不利な立場にならないか?

バカにされるんじゃないか?

と、一体どこの戦場にいるんだと思うが、前の職場では実際ハリネズミにならないと余計な事に巻き込まれるしなるべく強く出た方が有利に働いた。

 

そして軽く鬱になったくらいのトラウマ職場なので、その生傷がきっと癒えていない。

 

鎧を脱いで武器を置いた途端に滅多刺しにされて再起不能にされるんじゃないか?という恐怖心がある。

 

それに、ものすごい戦闘体制でいたので今更可愛い自分になるのは恥ずかしい。

そっちが本当だとしても恥ずかしい。

 

好きな人の前でだけ可愛くなるくらい恥ずかしい。

アレは本当に苦手なのだ…。

 

さっきまで普通だったのに、急にそういう空気になったりするのが照れ臭くて苦手だ。

だから佐藤健くんのカッコつけてる演技の半目がメッチャ苦手だ。

 

日常からコロッと非日常に転じるのは苦手だ。

 

一貫性のないものが苦手。

私はどういう人なんだっけ?と、探りながら、気付いてしまうのが怖くて恥ずかしくて避けたい気もする。

 

自分を磨いていると「どうしよう、私もっと綺麗な女になってしまう」と思うことがある。

 

結構大真面目に書くが、おばちゃん達の世間話みたいにガハハ!ってテンションではなく

 

「どうしよう、私また綺麗になっちゃうな」と思う。

自分を鼓舞する言葉ではあるが、本当に「どうしよう」と戸惑う気持ちもある。

 

何の「どうしよう」なのかな、と考える。

自分が「女」になるのが怖いのかも知れない。

変わっていくのは「今までの自分に対する裏切り」だと思うのかも知れない。

 

今まで傷つけて来た人に対する裏切りな気もする。

 

変わることは過去への裏切りなのだろうか。

どうして、何を捨てようとしているのか

捨てることにはなるのか?

積み重ねや、進化とは取れないのだろうか。

 

自分は何を恐れているのだろうか

何に戸惑っているのだろうか。

 

最近ずっと考え続けているが、とりあえずは「自分が好きな自分」でいようと思って

 

恥ずかしいけど可愛くて素直な無防備な自分を押し出している。

可愛い私はすぐ隠れようとするし、戦闘民族みたいな自分はすぐ出てこようとするけど。