アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

気まずい空気を何とかしようとするのをやめた

意識を高く保つことは悪ではない。

悪ではないけれど、意識高い系の人々の何が悪いかと言うと、意識を高く保つ燃料を他者に求めるところだ。

 

「見てくれ!こんなに意識の高い俺を!」

「見てくれ!!こんなに本気になっている私を!」

 

という、承認欲求の圧。

 

本当に意識が高い人は、彼らの意識の高さをあまり気にしない。

 

が、我々パンピーは「うわ…意識高いやつだ…」と、敬遠したり嘲笑ったりする

が、別段彼らを止めることもできないし、意識高い奴らのせいでおかしくなっていく場の空気の行方を見守ることしかできない。

 

私はとにかく何が原因でも場の雰囲気が悪くなるのが苦手で仕方ない。

 

30年磨き上げてきた場の空気を悪くしない技は、時として自分を犠牲にする。

 

彼らの意識が高い故にキチガイじみた極論を、引いている人々に通常の言語で通訳したり

 

意識高い奴にツッコミを入れて朗らかな笑いに持って行ったり

 

斜め上の事を言って場の空気を濁すピエロを演じたり…。

 

そして、毎回行く末はソイツに懐かれてめちゃくちゃ面倒くさいことになる。

 

己の承認欲求を満たしつつ、その場にいても気まずい思いにさせないようにしてくれる

 

私ってなんて意識高いヤツにとってありがたい存在なのだろう。

 

けれど、結局のところ私の存在も局所的なもので、いつの間にか集団から嫌われていたりする。

 

みんなの口ぶりで、あぁ…また奴らを助けることはできなかったのだとも思うし

 

何で私の存在が潤滑剤になっていると意識高い奴は気付かないんだろう…とも、虚しい気持ちになる。

 

けれど、そりゃそうだよな。

本人以外はみんな私が気を遣っていることに気が付いているのだ。

 

肝心の本人は、まさか自分が場の歯車を狂わせていると思わない。

私がいることで「数少ない心地よい空間」に出会い、更に症状を悪化させる。

 

私も意識高い奴の依存被害にあって、不必要なイライラを溜める。

 

先生に言われた「処理できない物まで背負っていっぱいになって、自分を責めるのは止めろ」と言われたことを思い出す。

 

私のエネルギーは、日々細々と他者に垂れ流れている。

 

私の周りには沢山いるのだ、救いたかったそういう人たちが。

無意識に、その場の誰しもを不快にしたくなくて、自分が背負えたらと思っていたし、負えると思っていた。

 

けれど、頼られるのが嬉しい反面、いつだって私は耐えきれなくていろんな人に負えなくなった人の悪口を言って「なんで私がこんな目に」と嘆き続けてきた。

 

彼・彼女らは、私が負えるものじゃなかったのだ。

 

それはそうだろうと思うけれど、今まで同じような物を負い続けてきた私は今になってようやく分かった。

 

あぁ、私が処理できることじゃねーやって、今分かった。

 

気まずい空気は誰のせいでもない、私のせいでもない。

上手く場を回す必要もない。

 

コントロールしようとするのはヤメた。

 

もう知ーらない!ってして何も言わずにいるのは、ひどく楽で驚いた。

 

こうやって一つずつ荷を下ろしていきたいな。