最近、よく昔の恋愛を思い出す。
能動的に出会いを求めていた頃のことは、このブログに開けっぴろげに記録してきた。
中高の頃は、山田詠美が描く少女たちに憧れていた。
どこかエキゾチックで小悪魔的な魅力に溢れていて
男子を翻弄するような、自分がしっかりあるような
恋に恋するような
全部を分かっているような
でも純粋に恋を楽しんでいる
恋に生きている
そんな印象が残っている。
今の私が読んだら、青いな…とか思って覚めてしまうんだろうか。
私が昼間飲む酒にジントニックをよく選ぶのも、山田詠美の影響だった気がする。
今私が読む本には、奔放に真剣に恋をする少女は出てこない。
それが少し寂しい。
何か疲れたような
侘しさを感じるような
日々の生活に慰みを見出すような本が多いなと
久々の読書でふと感じたのだ。
今思うと、私は恋がしたかった。
山田詠美が描く少女たちのような、男を翻弄するような、自分に焦がれるような恋がしたかった。
こんなことを素直に文章で書ける日が来るとも思っていたなかった。
自分が恋愛体質だなんて、自分でも認めることができなかった。
(どっかで素直に書いたっけ?)
こんなに素直に過去を振り返られるのは
歳を取ったからか
彼との穏やかな時間を素直に愛しいと思えるようになったからかは分からない
自己と自我しか見えてなかった中で
随分とひどいことをしてしまった人たちを思い出す
けれど、私の時間も彼・彼女らの時間も流れていて
それぞれがそれぞれの選択の元で幸せになりたいと選択を続けているんだろう
何か赦しのようなものが、そばにある気がする。