アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

私が自分に自信がない理由が判明

私は今まで、自分では何も成し遂げたことがないと思っていた。

今はそれに気付いただけで、過去を振り返っても何かを満足いくまでやったという記憶はない。

 

シャトルランを限界までやった事がない。

100mも全力で走った事がない。

好きなバスケだって、本当はゆるくやり続けたかったが、下手くそだから辞めた。

水泳も、好きだったけれど

負けるし練習が面倒だから辞めた。

 

ピアノは好きに弾かせてくれないから

つまらなくて辞めた。

 

書道はお母さんが後ろから手を掴んで上手に書かせようとするから辞めた。

 

英語は塾の先生が好きだったから好きだったけど、塾が閉じてつまらなくなって点数はガクガク下がっていった。

 

小説を書くことも好きだったけれど、人気サイトにはなれなかったから辞めた。

 

私は自分のことが好きだけど、本当に痩せられると信じてダイエットをしたことがなかった。

 

男の人も、本当に私と半永続的に一緒にいる気がある人なんていないだろうと思っていた。

 

でもそれらは全部、小さい頃から続いた「正しいやり方」「正しい手順」「それをするのに望ましい、正しい心構え」「勝利すること」のせいで辞めてしまったんだと気が付いた。

 

私はやってみて学びたい人だった。

ピアノもお手本を聞いて弾いてみて、合わない所を楽譜を見て調整する。

この音がココにあるってことは、楽譜のココにあるコレが「ラ」だからコレが「シ」という読み方をする。

 

それで良かったんだと思う。

指の決まりなんて関係なく、好きに弾いて良かったんだと思う。

 

エクセルも、基本がわかったら後は自分が使いたいデータで実践して擦り合わせながら使っていく。

 

書道だって、好きに書けたら楽しかったし

 

バスケは本気で優勝を狙わなくてもずっと続けていたかった

 

上手じゃなくても体力がなくても、やりたかったし続けて良かったんだと思う。

 

私はやりたくないからやらなくなったんじゃなくて、自分のことが信じられないから辞めてしまった。

 

理想的なやり方ができないから

理想的な正しいやり方では、私は結果が出なかったから

 

理想的な心構えを持てないから

みんなと同じやり方でやって出来ないってことは、コレは私に向いていないんだと思った。

 

他人軸のせいで私は自分が信じられなかったのかと、散歩をしてたらぽろっと気が付いた。

 

今の状況だって、私が良いと思ったことをしているんだから良いじゃないか。

ただそれだけの事だ。

 

成し遂げるということが一体私の中でどういう位置なのか

 

何をもってゴールになるのかは不明だか

 

自分のしたいことをしたいようにやって、自分を満足させてあげたら良いのだなと

急に思いついたのだ。

 

となると、就活とかしてる場合じゃなくない?とも思い始めた。

 

一般的なやり方が好きじゃないし合わないのであれば、一般的でない会社を探さねばならないのだが、何かそれも面倒くさいなぁ笑

 

とりあえずやりたいことを書き出してみようかな~

 

ウィッシュリストってやつか~と思うと

凪のお暇を思い出すのであった。

 

ちょっと希望が見えてきたのは、最近の秋晴れのおかげかも知れない。