私には恋愛知らない歴=年齢の親友がいる。
社畜モードに入る時以外は、冷静で中立的な良い友人だ。
彼女の唯一最大の弱点が「恋愛をしたことがない」という部分だが、それを会社の年が近いお局予備軍に面白おかしく飲みの席でいじられて深夜2時に大号泣したのだそうだ。
彼女は恋愛経験0を隠すために、それはそれは努力をしている。
友人曰く、自分に興味がないから本当は美容にもオシャレにも興味がない。
けれど、枯れ果てた姿をしていると彼氏がいないことがバレる。
いたことがないこともバレる。
そのいじりが耐えられない。
だから頑張る。
とのことだ。
私と彼女は10年以上の付き合いになるが、私から見れば彼女は典型的な自己肯定感が地中に埋まっているタイプの人間で
恋愛に興味がある・ない以前に「人が自分を好きになるわけがないから自分も人を好きにならない」と思い込んでいる。
もらえる訳がないと分かり切っているものを、最初から欲しがるのは心労が大きいと諦めている。
そんな事ないのになぁ…と再三言っているが、自己肯定感は自分で上げるしかないし、上げたいと思わないと上がらない。
私は自分は割と需要があると思っているので
「人を好きになったり好きになられたりするなんて簡単だよ!」というアドバイスを送るのは
『自分は持たざる者』だという前提がある人にとっては(持っているという認識にまで至らない者)何の参考にもならないので
なるべく言わないようにしている。
そんな彼女はYouTuber的な者が大嫌いなのだが、その理由を教えてくれた。
「素人が求められてもいないのによくあんなに自分を売り込めるもんだ。恥ずかしくて無理」
私もYouTuber求めてないから、「あ〜、分かる」と思う反面
恋愛もこんなもんなんじゃ?と思ったりもする。
素人と素人が、求め・求められ
ただそこにいるだけで求められる人もいるけれど、求めに応じてくれなかったら恋愛は成立しないし
誰かを求めるということは求められていないのに自分を売り込みに行くということだし
私はココにいてこんなことしてますよー!と声を張っているのがYouTuberで
お、良いねぇ!と求める人がいる
ふぅん、とスルーする人もいる。
私、24歳保育士、Fカップ、ちょいブスだけど床上手料理上手ですよー!
とアピールしてる人のようなものではないだろうか。
その売りをもってしても「求められてもいないのに、自分で自分をアピールするなんてダサい・痛い・おこがましい」という思いで声を出さなければ
誰も存在に気が付かないし、求めようもない。
仮に求められていたとしても「いやいやwあの人が私のこと好きな訳ないじゃんw あの人か好きなのはFカップだよww」と言って何も応じなければ、何も始まらない。
人の好意を「求める・受け取る」をしようとしなければ、恋愛もYouTuberも成立しないのではないのだろうか。