アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

駅のトイレ事情から気付く幸福

他人より自分に集中しようと思い

 

  1. 不必要に申し訳ないと思わない
  2. どう思われてるか考えない

 

例えば駅で腹痛に襲われて、駅のトイレでうんこしたとして

 

「後ろの人に臭いと思われないだろうか」とか「結構並んでたのに長いなぁと思われてるだかろうか…早く出ないと申し訳ない」とか

 

そういうことを思わないようにしようとしている。

 

公共のトイレはお互い様だと思いたい。

私も誰かが下痢に苦しんで「もうちょい行ける気がする…」という状況なら待ってあげたいし、臭くなってしまってもそれは仕方がない。

綺麗に流す、綺麗に使うで十分じゃないか。

 

シューがない限り臭いは仕方ないよ…。

お互い様だよ…。

 

そう思い始めてから、ちょっと生きるのがラクになってきた。

 

私は自分を不必要に責めないし、大事に扱う。

それと同時に、必要以上に求めたり誰かの幸福を責めたり羨んだりしないようにしよう。

 

羨ましかったら自分もやれば良いだけだし…

 

と、悟りの一歩を開いたことは素晴らしいな〜!と思うんだが、逆に「人の幸福を自分の損だと思う人」「自分の思い通りにいかない事が不幸だと思う人」を見かける機会が増えた。

 

もっとみんな自分の幸福に集中すれば良いのに。

一体誰にいじめられてそんな警戒してるんだ、可哀想に。

 

くずぴに体験学習させてもらったが、本当に他人は自分の思い通りにならない。

当たり前だけど。

 

期待して、画策して、コントロールしようとしても全然思い通りになんてならない。

上手くいかなかったときに爆発するか遮断するかしかなくなってしまう。

 

彼は私じゃないし、私は彼じゃない。

なら自分の幸福を見つめながらいつも穏やかにしている方が良いじゃないか。

 

と、昼ごはんを食べながら思っている。

 

最近私は食べたい物がいつも明確にある!

食べたいのか食べたくないかも明確にある!

 

何も考えずに習慣でしていたことを、立ち止まって「やるか?やらないか?」を考える事ができる。

 

食べたい!と思ったものを口に運ぶと、本当に幸福で驚く。

 

外に出たい!と思ったときに出ると、空気が気持ち良い

 

1日寝たい!と思った時の布団の中の、何と幸福なこと

 

何だか人生それで良いと思うんだよね、という、金曜の昼下がりである。