アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

植物会社が生まれた意味に思いを馳せる

私は金儲けが好きな気持ちはイマイチ分からない。

 

お金は目的を達成する手段、道具であるという認識だからだ。

 

私にとってお金は欲しいものや時間を得るための便利な紙だ。

 

紙、と一言でいうと距離感があるが

 

お金はどん底で泣いていても

自分を慰めるために美味しいものを食べたり

ステキな洋服を買ったり

新しい勉強に踏み出すための力になってくれたりする。

 

幸福感や充足感をもたらしてくれる存在だ。

 

起業しようと思うにあたり、やっぱりお金を儲けることを考えなければならないなぁと思う。

 

それは、私がしたい事を続けていくための動力になるのだから、綺麗事だけ並べて儲けることを横に置くことはできない。

 

けれど、お金を儲けることそのものが目的になっている人たちを見ると

 

果たしてそれは…と思ってしまう。

 

今、私が勤めている会社はビジネスモデルを大きく変えようとしている。

 

私がこの会社を選んだ大きな理由であり、会社の掲げた大義をその方法で達成したいと思ったモデルだった。

 

大義は変えないものの、中身は変わる。

 

それは、ウチでやらなくてももう他がやっているじゃないか…というビジネスモデルだ。

 

会社を存続させるために

売り上げを上げるために

金儲けをするために

 

従業員を食べさせていくための方法と言えばそうなのだが、もっと手前でもっとやりようがあったのに

 

病巣を見ようとせず、この会社を腐らせた経営陣を私は冷ややかな目で見てしまう。

 

1度身を切って訴えた者としては、残念でしかない。

 

この会社はなぜ生きねばならない?

何のために生まれた?

死を迎えるまでに、何を成し遂げる?

 

数字を出す

金を儲ける

大きく成長する

 

ただそれだけなら、生まれた意味などあるのだろうか。

 

人と企業は同じだなぁと、最近思う。

ただ存在するだけなら、植物人間と同じだ。

 

私は何を成し遂げようか