アラサー元腐女子の奮闘記

恋愛奮闘記からただの奮闘記に。生きることそのものが戦い

老犬を看取るということ

私の実家には14歳になる大型犬がいる。

 

ついこの間までは立つときに手伝ってやれば自力で歩いていたのだが、遂に自分で立つことも水を飲むこともご飯を食べることもできなくなってしまった。

 

2日間飲まず食わずで、実家に帰っている妹から「いよいよダメかも知れない」と連絡が入った。

 

私が15歳の頃からずっと可愛いがっていたおじぃわん。

私がトイレも散歩も躾けたおじぃわんの今わの際には絶対に一緒にいたい。

 

私はすぐに有休をとって実家に帰った。

 

すると、私が帰ったことにテンションが上がったのか、おじぃわんは自力でやっとやっと歩いて、水を飲み、シニア用の缶詰を一つ食べた。

 

みんな喜んだ。

しかし、おじぃわんの介護体験をしてみて「こりゃ大変だ」と感じたのも事実だった。

 

これはもちろん息のがある内は生にしがみついてほしいという願いを大前提にした、老犬の介護の片鱗を味わった者の正直な感想だと思ってほしい。

 

おじぃわんは約20キロ。

大型犬にしては細身なのだが、力が入らないのでとにかく重い。

自分で力をこめられる20キロと、ただ重力に身を任せる20キロは全く感じる重みが違う。

 

父が下半身を、誰かが前足を支え、また誰かがズレたおしっこシートを整える。

 

出るか出ないか分からないおしっこを待ち、応援する笑

応援すると出るところが可愛い。

 

同じ姿勢で固まっていなくてはいけないので、60絡みの初老の父母とアラサー姉妹2人で2,3分ストップしていることの何とキツいことか。

 

「おじぃわんより先に腰が逝く…!!!」と何度も思ったw

ここでしても良いんだよとオムツを履かせたが、誇り高き忠犬のおじぃわんは決して寝ている場所でおしっこしたりしない。

 

体力がほぼなくなって辛いのに、目で「トイレに行きたい」と訴えるおじぃわんの何と切ないことか…。

 

そんな重労働のトイレが終わると、おじぃわんは本当にくたびれた様子でじっと目をつむって寝息を立てる。

望んだことを叶えてあげられているけれど、疲れたおじぃわんを見ると切なくなってしまう。

 

そして、おじぃわんは夜一人で寝たがらない。

寝室がある2階にはおじぃわんは来ないように躾けているので、リビングがおじぃわんの寝床だ。

 

「お休み」と声をかけて離れようとすると、悲しい目でこちらを見つめる。

一人になるのが心細いのだろう。

 

いよいよ危ないと感じ始めた3日くらいは父と母が交互にリビングのソファで一緒に寝ているらしく、すっかり寝不足で母の方はふらふらだった。

 

けれど、長くはないだろうと踏んでずっと一緒にいるらしい。

 

私が帰っている間は、私と母でリビングで寝た。

おじぃわんは2時間ごとくらいに起きているらしく、物音は立てないがやっぱり気になって人間側も起きてしまう。

 

ある時は珍しく顔を上げて静かにしていると思ったら、ひっそり大量の鼻血を出していて気が気じゃなかった。

 

鼻血まみれになったシートの処理をし、おじぃわんを綺麗に拭いて落ち着くまで触れて声をかけ続ける。

 

これを2時間おきと思うと、体力がある私ならまだしも、初老の父母が繰り返すのかと心配になってしまった。

 

2人とも退職しておりフルタイムでは働いていないとは言え、これが何日も続いたらどうなるのだろうと頭をよぎった。

 

妹はフルタイム勤務なので週末を中心に面倒をみているらしい。

人のペース配分も考えなければならない。

 

週末を越えると、人がいない間におじぃわんが一人で息を引き取ってしまったらどうしようかと不安になる。

 

夜も、誰も気づかない間にひっそり死んでしまったらどうしようと不安で眠れない。

毎朝息があるのを確認して安心する。

 

たった2泊しただけの私がこんな思いをしているのに、一緒にいる家族の負担は…。

そんなことを思うが、やはり苦しくても疲れてしまってもおじぃわんに生きていてほしいと思う。

できるだけ長くここに留まっていてほしいと思ってしまう。

それがおじぃわんにとって幸せなのかは自信がないけれど…。

 

けれど、どんなに大変でも心細い思いをしているおじぃわんに寄り添ってあげられることは家族にとっては幸せなのだ。

 

今まで真っ直ぐに純粋に家族を愛し続けたおじぃわんに、私たちから愛を返してあげられる機会なのだと思う。

 

おじぃわんは、4月までもつかは分からない。

けれど、今日も生きている。

呼吸をして、家族を目で追って、妹に水を飲めと声を掛けられうるさそうにため息をついている。

 

みんなで、彼を愛していると沢山伝えながら残された時間を過ごしていきたい。